2001年7月28日(土) 晴れ
カワイハエの海岸に遊びに行きました。ハワイ島に住んで約5年経ちますが、最近まで知らずに、つい先日初めて行き、「何で今までこの海岸に来なかったの。人生損した」というくらい気に入った海岸です。
回り中海岸であるハワイ島(どの島でもそうなのですが)。海岸リッチのハワイ島住人、いえ能丸家にとっていい海岸とは?
@駐車場から海岸までが近い→荷物は山のようにりますから、炎天下、何往復もするのに遠いと×。
A海岸に木陰があり、椅子とテーブルがある→下に座ると足がしびれる。
B白い砂浜である→岩場の海岸が多いのです。それに黒い砂浜って何だかくつろげなから不思議です。
インターネットで日本の海開きの写真を見ましたが、シートを整列させ、びっちり敷き詰めてありました。私だって日本にいたときはそうやって芋洗いのような海に行きました。行き帰りは信じられないような渋滞に巻き込まれて。
しかしここでは本当に贅沢です。今日は10時半に着いたので、土曜日だというのにたくさんテーブルが空いていて海が目の前の木陰のテーブルに座れました。テーブルクロスを掛け、携帯コンロを出し、KTAで買ったSBレトルトカレー(パック)を火にかけました。朝炊いたご飯を内釜ごとバスタオルにくるんできたので、ご飯はまだほかほかです。別にサラダだけ和えて、いただきまーす。美味しい!レトルトカレーを美味しいと感じるのは目の前が真っ青な海だから?
あ・日本の方はこのシチュエーションに相当呆れてますね?でも地元の人は、みんな鍋ごと料理を持ってきているので、私たち全然目立ちませんでした。
お昼を過ぎても、それでもテーブルはまだ空いているところがあり、私は田舎に住んでいる良さをしみじみ感じました。写真を撮ると、美しい海岸に夫と紘右しかいないみたいに人がまばらです。4合炊いてきたご飯を4人(といっても1人は1歳児)でペロリと平らげ、次はお昼寝モードに入りました。この海岸で毎日食事してたら、食が進んですぐ現地人のように太れること間違いなしです。
2001年7月25日(水) 晴れ
シロアリ駆除屋さんから請求書が届きました。それはちょっと変です。うちは年間契約をしていて、点検・薬の注入だけなら無料のはずですから。電話をしたら調べてくれて、やはりシロアリ駆除屋さんの間違いでした。ずっと英語で話していたのに最後に日本語で、「ごめんのぉ」。出た〜広島弁。日系人のおばちゃまだったのね。
2001年7月24日(火) 晴れ
母の友達の女医さんが、ホノルルから遊びに来ました。私の運転で、ワイメアまで行きました。途中、トロピカル・ボタニカル・ガーデンにも寄ったりして、とても楽しい道中でした。
今月は12日にもワイメアに行き、紘右がおもちゃ屋に突進して、トーマスのおもちゃから離れられなくなり、予定外の高いお買い物をしたばかりです。でもそのおもちゃ屋を覚えている紘右は、引き留めるのも聞かず、またそのお店に入ってしまいました。違う売り子のおばあさんが、「何かお探しですか?」と聞くので、「今日は見てるだけ」といいました。するとおもちゃに手を伸ばした紘右を見て、「ここは遊び場じゃないの。商品は売るために並べてあるのよ」と英語で怒りました。一瞬、「10日前に来て、このおもちゃを買ったのよ」といおうかと思ったけれど止めました。そのときの売り子さんは、同じ状況で上手に商品の説明をし、売り上げに繋がったというのに。
しかし、英語で怒られても今一ピンとこないという情けない能丸千秋でした。
2001年7月23日(月) 晴れ
100年近い歴史があったSUISANの魚の競りが終わってしまいました。20日に最後のオークションがあり、たくさんの人が見に行っている写真が新聞に出ていました。なぜ終わってしまったかというと、カリフォルニアから衛生検査官とかいう人がやってきて、競りに掛かっている魚の匂いをチェックして、「これは不衛生極まりない」と中止を命じたからです。Keikoやうちの家族の間では、「何てことをしてくれたんだ!これからヒロの魚はどうなるんだ」と抗議のデモでもしたいくらです。今朝の新聞には新しいお店が、「貴方が釣った魚をいいお値段で買い入れます」と釣り人に向けて広告を出していました。あら、私も魚を釣って売りに行ってみようかしら。
今しばらく、ヒロのお魚事情に注目です。
2001年7月21日(土) 晴れ
近況報告が週一になっている能丸千秋です。それを打破したいのに、できない。灯台の日記のように、ひとことだけでも毎日書いてみようかなと思う今日のこのごろです。
不思議な手紙が来ました。ロサンジェルスのカウンティーからです。うちの住所になっていますが、名前は聞いたことないMrs.
N. S. Deverill宛です。転送のしようもないので開けてみると、『5月13日にMr.
Deverillが死にました。貴方は、彼の親戚、遺言、相続人についてご存じないですか?遺産は遺書があれば、その内容の通りになります』というものでした。
想像してみました。
ロスに、人と全然付き合わず、近所の人から『変人』と呼ばれていた大金持ちのおじいさんがいた。で、そのおじいさあんが亡くなり莫大な遺産の相続人を捜している・・・。映画の見すぎ?でもとってもアメリカンな手紙でした。
2001年7月15日(日) 晴れ
盛りだくさんの日曜日で、今日の近況報告は今まで以上に長いです。お許しを。
昼間に、カイポという一歳になる男の子の誕生日パーティーがありました。公園の建物を借り切って、約100人もの人が集まる盛大なパーティーでした。バースデープレゼントは、カイポ・ママからのリクエストで風船50個。ヘリウムガスのタンクを買ってきて、朝から風船を膨らませたのですが、これが結構大変でした。紐をつける前に手から逃げ出して天井にへばりついている風船をジタバタしながら取っていたら、その母の姿が怖かったらしく紘右が泣き出すし。できあがかって風船のひもを束ねて持ったらぐちゃぐちゃにこんがらがってしまうし(ディズニーランドの風船売り子の苦労が初めてわかった)。とにかくどうにか車に50個の風船を詰め込んで会場に駆けつけました。
パーティーでは、カイポのパパと、カイポのママの前のご主人(彼女は2年前に離婚。前のご主人との間には子供なし)の組んだバンドの演奏があり、これはとてもアメリカ的夫婦関係と、日本人は感心することひとしきりでした。
3時ごろパーティー会場から抜け出し、すばるのオペレータのSumikoの案内で、日本から来た友達・灯台と私の3人で、マウナケア山頂に行きました。私が山頂に行くのは、紘右を妊娠していることに気が付かずに行って以来で、久しぶりに見られる美しい夕日と星空を楽しみにしていました。
2800mで30分休んで、山頂(4200m)まで一気に行くと、私はいつも最初にぼーっとします。空気が地上の6割しかありませんから酸欠状態です。指の先まで軽く痺れる感じです。でもここで体を少し休めると、後は慣れます(冬場には山頂でスキーもしてしまうくらいです)。Sumikoと灯台で望遠鏡見学に行っている間、私はチョコレートを食べながらソファーで寝てました。
それで元気に復活し、2人と一緒に30分掛けて本当の山頂まで自力で登りました。でもとてもしんどかったです。心の中では、「チョモランマなんかには絶対登らない。反町ってバカだ」と繰り返し思っていました。
山頂ではすぐお腹が空きます。温かい部屋に戻り夕食をぱくぱく食べ、次は夕日を見に外に出ました。摂氏3度。しかし風が吹くので、体感温度は−5度くらい。寒くて仕方ありませんが、天文少年出身の灯台は強がりをいって上着を着ていません。私はダウンジャケットの上にすばるのジャケットまで重ね着しているというのに。学生時代と同じ、変な奴だ!
私はこのマウナケア山頂で見る夕日とその後の夕焼けは、世界一美しいと思っています。雲があると、炎のようなオレンジ色と藍色になり、この世にいるとは思えなくなります。
次は夜も更け、星空を見ました。白い雲のような天の川。星座が埋もれてしまうような星の数。いつも星には宝石のような色があると再認識させられます。流れ星も5つほど見ました。本当ならば地面に寝転がって見たいところですが、地面の冷たさは半端ではありません。立ったまま首を後ろに曲げて空を見上げていると、やがて首が痛くなります。
そこで次は、ハレポハク(2800mにあるビジターセンタ)まで下りて、望遠鏡での無料の観望会に参加です。一年分くらいの幸せを使い切ってしまったような星漬けの幸せな夜。自然は美しい。
さて、大感激のうちに山を下りるはずが、車のガソリンが充分ではなくそれに振り回されたとか書くとまたSumikoに怒られますから書けませんが、日本からの疲れも引きずっていて体調が今一だった灯台はそれらに伴うスリルから気分が悪くなり、帰り道で吐いてしまいました。山頂に登る日は、体調はベストに整え、睡眠も充分に取っておくことが大事です。
久々に行ったマウナケアに感激して帰ってきました。連れていってくれたSumikoに大感謝です。
2001年7月13日(金) 雨
昨日に引き続き、山の上のお仕事に関するお話し。夫がマウナケア山頂で、ひとつ非常に重要な役割を果たしている仕事があります。責任感の強い彼はこの数年、その会長の任を怠ることなく、いつもクラブの充実を心がけています。その名はラーメン倶楽部。
すばる望遠鏡のメインオフィスは里にありますが、そこにも社員(または生協)食堂はなく、昼食は各自お弁当を持ってくるか、家やレストランに食べに出かけます。ましてや山頂には外食できるレストランもありません。そこで今から数年前、5人の人が出資してラーメン倶楽部を結成し、常に山頂のスタッフルームに、カップラーメンを置くことにしたのです。利用者はとても多く、だれでもカップラーメンに書かれた金額を払って食べることができます。今ではお弁当を持たずに山頂に行っても、このラーメンがあると結構当てにされています。
生真面目な夫はいつも心の片隅に、このラーメン倶楽部のことがあり、どこに買い物に行っても、ホノルルに行くときでさえひとつ余分のカバンを持参し、各種カップラーメンを大量に購入します。その嵩張ること!そして家に帰ると電卓を叩いては一個一個の値段をマジックで書き込み、山頂にまとめて持って行きます。これが天文学者のお仕事のひとつです!?
で、夫たちは国家公務員。アルバイトは国から禁止されている身の上ですから利益は上げられません。4年ほど経っていますが5人の出資者が出したお金は一向に増えていません。
さて私もラーメン倶楽部会長の妻として早4年。やはり気になるのです。今日はウォールマートに行ったら、先日夫が3個買って山頂に持っていったら大好評だったという「日清ラ王・トンコツスープ」なるカップラーメンがあったのです。それも他よりお安い値段。思わずそこにあった分を全部持ってレジに行ったら50ドルちょっとになってしまいました。レジの人は怪訝な顔。ハワイの人には1個2ドル60セントのカップラーメンは、信じられない高さでしょう。するとおもむろに、「身分証明書を見せて」といわれました。そんなに怪しかったですか私?これが天文学者の妻の生活。
2001年7月12日(木) 雨
気が向いて、ワイメアまで出かけました。ヒロから車で北上すること1時間半。標高が高いワイメアの町は、ハワイとはいえいつも寒いくらいです。その変わり、野菜や果物が美味しくてハワイの人に好まれています。日本の夏の高原野菜という感じでしょうか。トマト、イチゴ、スイカなどが特に有名です。ホノルルの人でさえ、「ハワイ島のワイメアトマトが欲しい」といいます。
ワイメアの町中を走っていると、路肩でイチゴを売っていました。車を寄せて買いに行くと、さすがにイチゴのシーズンは終わり近くて今一でしたが、太くて柔らかそうなアスパラガスを売っていました。それを買い求め家に帰ると、ちょうど山から下りて帰宅した夫が、運転で疲れた私の代わりに、アスパラガスとシーフードの美味しいスパゲティを作ってくれました。もう美味しいのなんのって!幸せ。その上、紘右をお風呂にも入れてくれました。
・・・と、山頂から電話掛かってきて、「望遠鏡のトラブル」。夫は急いで着替え、再び山に上がって行きました。そして戻って来たのは明け方3時。
今日の夫の一日。昼間はずっと山頂で仕事をし、夕方、夕食作りと紘右をお風呂に入れるために下りてきて、夜再び山頂に上がる。山頂とは4200m。富士山より高い山に1日に2回も行く・・・ああ天文学者の悲惨な生活。
2001年7月9日(月) 晴れ
毎年、恐怖の6月。大量のシロアリ(ターマイト)が飛来してくる季節が終わりました。今年はターマイトが多い年でした。5月から飛び始め、6月中は、何回電気を消して、暗い中夜を過ごしたことでしょう。
ヒロで家を買うとき、だいたい2年に一回くらいはシロアリを退治するためのテントを張り、家全体を消毒しなければならないよといわれました。そのときは食料品と共に、24時間家を空けなければなりません。大変な費用と労力が掛かります。
我が家では今年からターマイト退治会社と年間400ドルで契約し、一年に2回、シロアリがいないか徹底的にチェックしてもらうことにしました。他、怪しい穴を見つけたときは、いつでも無料で薬を注入してくれるサービス付きです。ちょっと高めですが、これに入って精神的心配からも開放されました。しかしシロアリが発見され、テントを張ることになれば、その代金1400ドルはもちろん別払いですが。
6月29日に初めてのチェックをしてもらいました。家を買ってから約4年半、点検を怠っていました。怪しいと思ったときは、私が市販の薬を散布していましたが、今回、大被害が発見されるのではないかとドキドキわくわく(←いやだけど発見されたらそれも嬉しいから)していました。一人の男性がやってきて、家の外、中、屋根裏に至るまで懇切ていねいにチェックした結果は、いない。「うわー4年以上点検しなかったのに、こまめに電気を消し、薬を撒いた甲斐があった」と喜びました。私は自分でも一年に1回くらい、シロアリ・チェックのため暑い屋根裏に入っていました。
ところが、彼が帰った翌日、お客様用トイレの奥にある物入れ(前のオーナーはワインセラーと読んでいた部屋)を掃除していたら、新しそうなシロアリの糞を発見したのです。その日、糞を全部掃除して翌日見に行くと、やっぱり糞が落ちていました。間違いなくアクティブ・シロアリ!チェックした人は、この部屋を見落としてチェックしていなかったのです。
早速シロアリ退治会社に連絡したところ、今日、処理に来てくれました。車から降り立った巨大なハワイアンと白人の男性2人。2人とも縦にも横にも巨大で、目の前に立たれると圧倒され、私は恐怖心すら覚えました。こんな大きな体だとチェック班にはなれないでしょう(天井を踏み抜きます、いやその前に入れない)。その体の大きさは、我が家の狭いワインセラーには一人ずつしか入れず、それも体を折り曲げてやっと入り、出てくるときはそのままの向きで後ずさり。そして彼らはうちのものがいろいろ珍しいらしく、「この楽器は何だ?」「どうしてトーマスが日本語なんだ?」「クローズキャプションがなぜ日本語が出るんだ」と質問攻めでしたが、しかし仕事はちゃんとしてくれたようです。彼らに、「よく貴方がこれを見つけたね」とお褒めのことばをいただき、私は今後もシロアリ・チェックに燃えます。
2001年7月6日(金) 晴れ
沼口敦さんという友人が突然亡くなった。彼とは大学のとき入っていた天文のサークルで一緒だった。たくさんの同級生の中から副部長にも選ばれた、口数が少ないけれど存在感のある人だった。いい人ほど早く逝ってしまうのは月並みなことばだけれど、優秀で、人柄もよく、笑顔が最高だった彼を思うと、本当にそう思わずにはいられない。
最近は研究者として、北海道大学にいた。先週末、山に一人で出かけ、そのまま行方不明となり、数日後川の中洲でカヌーと一緒に遺体で発見された。事故だった。
彼のHPに行くと、研究者としての目標は,「自然は良くできている」ということを人々に活き活きと話せるまでに実感すること.と書かれていた。そして、愛でるように撮った数々の自然の写真があった。私だったら見落としそうなたくさんの野草や雑草も。彼は本当に自然を愛していた。
彼の死を悼むサークルの仲間から届くメールを読んでいたら泣けてしまった。口数の少なかった彼と話したことを思い出そうとしても、一言くらいしか思い浮かばず、彼の笑顔ばかりが浮かんできた。それでもできるだけ心に刻みつけるように、何回も彼のことを考えていた。
「死ぬ」ということ。以前、コナの波の荒い深い海で、その場にいた知らない女性に、沖の浮き島まで泳ごうと誘われ泳ぎだした。半分くらい泳いだところで、突然、海に対しても知らない彼女に対しても「恐い」という強い感情が突き上げてきた。すると体が重くなり、急に泳げなくなり沈んでしまった。海水も飲んだ。しかしどうにか我を取り戻し、海岸に引き返した。海の中に沈んだとき、「私はこのまま死ぬのかもしれない」と、おぼろげに考えた。あの感覚は一生忘れられない。死の境界線をまたぐのは、ほんの一瞬のことなのだと感じた。
彼のことを想像した。北海道の長く寒い冬が去り、遅い夏がやってきた。冬の間、がまんしていたカヌーをもって久しぶりに山に入る。芽吹き始めた山の木々を満喫しながら川下りをしていたのだろうか。ベテランの彼が思わぬところが転倒して、体が濡れてしまったのかもしれない。少年のころから寒空の下、星の観測をしてきた彼は寒いのも平気だ。しかしまだ夏浅い北海道の冷え込みはことの他厳しい。川の中洲にたどり着き休憩を取る。「いやー、寒いなあ」といいながら、予想以上に体力を消耗し、眠くなってきたのかもしれない。空は青空だっただろうか。それとも彼が最後に見上げたとき、空には満天の星が輝いていただろうか。「もしかして僕はこのまま死ぬのかな。まさかな」と静かに考えたのではないだろうか。
彼が撮った花の写真を見ていたら、母も見たいといいだした。一枚一枚見ていた母が突然泣き出した。「花を好きな人に悪い人はいないのに。こんなに花を好きな人がどうして」。
今日、日本では彼のお別れ会があり、たくさんの友人が北海道に駆けつけた。今日は彼のことを書かずにはいられなかった。沼口君、さようなら。
2001年7月5日(木) 晴れ
本当によいお天気が続いています。バラ園にせっせと水撒きをしていますが、9本中2本、根付いていないようで心配です。気が向いて、Keikoの家の水撒きにも行き、お駄賃にKeikoが育てているシソの葉をもらってきました。アヒ(マグロ)のたたきの薬味にしました。またシソが欲しくなったら水撒きアルバイトに行こうっと。
昨晩の花火。ライブカメラには写らなかったので、我が家のデジカメの映像をコンピュータに落としました。935 KBもあってダウンロードが辛いかもしれませんが、ハワイの打ち上げ花火の空気を感じていただけたら嬉しいです。途中、ブラスバンドの演奏が結構賑やかです(仕事場の方はご注意を)。花火打ち上げ中は、母と紘右の歓声が入っています。そして打ち上げ花火が終わったとたん、急に太鼓が鳴り出し、沖縄の踊りが始まりました。こちらは短くて180 KBです。これがハワイだとだれが信じられるでしょうか?ヒロではしょちゅう見かける光景なので、地元の人はだれも驚かないし珍しがりません。でも本土のアメリカ人は、「やっぱりハワイは日本領土だった」と再度思ってしまうことでしょう。こちらには、夫と紘右がちらりと写っています。
2001年7月4日(水) 晴れ
独立記念日でした。アメリカ人は一日中お祭り気分でした。夜8時からは目玉イベントの打ち上げ花火があり、
私たちも夕食を済ませ、7時過ぎに海岸に出かけました。もう車を止めるところはないかなと思いきや、さすが田舎。ベストポジションに車が止められました。足下にうち寄せる波音を聞きながら、目の前に広がる漆黒の海。後方には雲から隠れたり出たりする満月(←別に花火の日にはいらないけど)。道路の向こうの大きなガゼボの下では、ブラスバンドがアメリカ国歌を演奏しています。これぞ南国の花火大会!
例年は人力で花火を上げていたので、30分、とぎれがちにだらだら続く感じでしたが、今年から機械を導入したとかで、15分、集中型になったとのことでした。ヒロのホテルエリアから橋で繋がったココナツアイランド上空に、花火が上がりました。結構見事。15000ドル分ですから。花火の色が海に反射してそれがまたきれい。15分間、充分楽しみました。
さて、津波博物館のライブカメラ。私は気の利いた館員が、カメラを花火の方向に向けてくれるかもしれないと思っていたのですが、画面のチェックしてくださった親戚のおじさまが、こんな記録を作ってくださいました。残念ながら花火は写らなかったそうですが、おじさまのコメントが楽しいので見てみてください。政義おじさまに感謝。
2001年7月3日(火) 晴れ
今も日本にデイリー・クイーンというファーストフード店があるかどうか私は知りませんが、うちから車で5分くらいのワイアヌエヌエ通りの海の近くに、小さなデイリー・クイーンがありました。日本から来た友達が、「懐かし〜、同じアイスクリームを食べさせてくれるのかなぁ」とわざわざ出かけていったので、或いはもう日本にはないのかもしれません。
最近、そのお店がコズミック・コーンという、全くチェーン店でも何でもないダサイ看板のアイスクリーム屋さんに変わりました。できて約一ヶ月。先週、夜8時ごろ、強盗が入り売上金数百ドルを持って逃げました。メザシボウを被ったその男は、コートの中にある拳銃を見せ、「外に出てきて金を渡せ」と静かにいい、店員が素直に渡すと逃げていったとか。犯人はまだ捕まっていません。新聞でそのことを知りましたが、実はコズミック・コーンのオーナーは母の親しい友達(それも教会の人)で、「いやー、数百ドルは惜しくないんだけど、もう店員が怖がっちゃって困っているんだ。みなさんも店員が怖がらないように神様に祈ってください」といっていたそうです。
さらに面白いことが発覚したのは、デイリークイーンはフランチャイズで、本来はデザートしか出してはいけないのですが、ワイアヌエヌエ通りのこの店は、「デザートだけでは経営が成り立たない」と、勝手にローカル料理も作って出していたそうです。で、再三本部から、「デザートだけにしろ!」と注意を受け、無視し続け、とうとう名前を取り上げられてしまったのだそうです。それで、コズミック・コーンという他では見たことない名前に変え、メニューは同じものを出しているのですね。
日本でサーティーワン(あれ、もうこれもないのかな?)が、勝手に高菜チャーハンを出していたようなものです。日本では考えられない話しですね。
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