2002年2月

 

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オーストラリアの写真
白いマウナケア


2002年2月27日(水)

ヒロラグーンのガチョウやアヒルたちに、パンをあげに行きました。朝早く行くと、鳥たちも飢えていて、すごい勢いで車の回りに集まってきます。買ってきた1袋のパンもアッという間になくなりました。すると、一台の車がやってきて、おばさんがパンの袋を抱えて下りてきました。「私はたくさんあるから、1袋あげるわ」とパンを分けてくれました。おばさんを覚えているのか、さらになる数のアヒル、ガチョウが回りに殺到してきました。

見ると、一羽のアヒルの口から、2mくらいの釣り糸が出ています。それが他のアヒルの足に引っかかり、パニックになっています。近づき、釣り糸を手に取ると、口から糸が出てるアヒルは逃げようと大暴れしました。針が食道にでも引っかかっていたら裂けてしまいます。急いで糸をたぐり、もがくアヒルを抱き上げました。釣り針はくちばしの脇に深く刺さっています。抜こうとしても針はびくとも動きません。せめて、糸だけでも切ってあげよう。車の中に、アーミーナイフにハサミがついていたはずです。アヒルを片手に車に行こうとすると、ガチョウより小さな紘右が、一人でパンを持っていたため鳥たちに襲われ悲鳴をあげています。おばさんは、相変わらず自分の回りの鳥にパンをあげています。おばさん、助けてよ!すると、「ほら、もう一台車が来たから、彼らが助けてくれるわ!」と、私にいいました。

仕方ないので、紘右の手からパンを取りあげ、アヒルと一緒に次ぎに来た車のところに行きました。そして、私のアーミーナイフを渡し、「お願い、ハサミを探して」と、おじさんにいうと、老眼鏡を掛け、ひとつひとつナイフを出していきますが、なかなかハサミが出てきません。こんなにアーミーナイフを恨めしく思ったことはありません。やっとハサミが出てきて糸を切ろうとしたら、全然切れませんでした。仕方なく、おじさんが、ナイフでごりごり糸を切りました。アヒル、痛そう・・・。糸が切れたので、おじさんに、「どうもありがとう」とお礼をいうと、「いや、貴方こそどうもありがとう」といわれました。

おばさんに、「このアヒル、お腹を空かせているからパンをあげて」と、抱いたまま連れていき、おばさんの前に下ろすと、バタバタ暴れて逃げていきました。おばさんが、「あら、どのアヒルだったかしら。貴方見分けつく?」。アヒルなんて、みんな同じでわかりません。「あのアヒルは、貴方に出会ってラッキーだったわね」と、おばさん一言。

本当に可哀想なアヒル。釣り針が刺さったままだけど、元気になってね。でもアヒルって、体の芯まで羽根かと思うほど、ふわふわしてて柔らかくて、独特の匂いがして、ずうっと抱いていたいくらい可愛かったです。


2002年2月26日(火)

25日の晩は、豪雨と激しい雷で、ヒロの住民はよく眠れなかったほどでした。うちの近くにも何回も落雷があり、地響きで我が家も揺れました。しかし、ヒロリアンにとって、こんな恐怖の夜もウキウキと耐えられる、翌朝の楽しみがあります。それはマウナケ(約4200m)が真っ白になることです。ヒロが雷の日は、だいたい山の上も雨で、それが冬だと雪になるのです。

「珍しくハレポハク(2800m)でも、15cm積もっているらしいよ」と、お昼を食べに戻ってきた夫が教えてくれました。「よし、ハワイで雪合戦だ」と、午後一で、紘右とハレポハクまで行くことにしました。くねくねしたサドルロードを通るちょといやなドライブですが、うちから車で50分くらいで行けます。私のボイジャーは、最近故障が多くて不安なので、夫のピックアップトラックを置いていってもらい、それで行くことにしました。

チャイルドシートを載せ、冬着も積み込み、いざトラックで出発。紘右はすぐに寝てしまいました。40分も走るとT地路があり、そこを右に曲がると、いよいよ急勾配で登っていきます。するとガソリン補充警告サインが点きました。ガーーン。ここまでガソリンの量なんて全然見ないで走ってきました。ヒロまで引き返さないと、ガソリンスタンドはありません。「えいっ。私の行いはいいから、きっと大丈夫。あと10分で着くし、エンプティーまでは1メモリ以上残ってる」と、楽観視して急勾配を登り始めると、ギアはロウに落とさなければならず、エンジンの回転数が跳ね上がり、ガソリンのメモリはどんどん減っていきました。5分登ったところで、「やっぱりこれはまずい」と、雪山を目の前にして、断腸の思いで引き返すことにしました。しかしこのガソリンの量、ヒロまでさえ戻れないかもしれません。

ずっと下り坂だし、試しにエンジンを切って走ってみました。そしたらハンドルが重くて、とても運転できません。しょうがない、下りはいつもギアを落として走るけど、今日はドライブのまま、できるだけ回転数を上げないようにしてガソリンを節約で下りよう。もちろん、ホイッピング・ブレーキでいきましょう。と、ここで、眠っていた紘右が目を覚ましてしまいました。退屈するに決まっているので、カーブのたびに「グイーン、グイーン」と声を掛けながら、笑わせておきました。

すると、事故がよくおきる魔の13マイル地点の少し手前で、トラックがふらふらしました。「まずい、スピードが出過ぎ」と、ブレーキを踏むと、キーーー、くるくるくる・・・トラックがカーチェイスの映画のように、回転し始めました。ひぇ〜、スケートリンクみたい!−と、ハンドルを回すと、右側の草むらに突っ込みそうになりました。慌ててハンドルを切ると、今度は反対側に回転し始めました。そして、するする滑りながら、反対車線に入り、半回転してそちらの車線の正しい向きに止まりました。もし、対抗車線から車が来ていたら、目の前でくるくる回っている巨大トラックに、突っ込んでいたに違いありません。

「くるくるだったね」と、恐いことが大好きな紘右を笑わそうと声を掛けると、2歳児がひきつった顔をして、なにも答えてくれませんでした。ごめんねー、紘右も恐かったんだね。私も今頃、ドキドキしてるよ。

ヒロまで戻ってくると、スピンとガス欠の恐怖で、普通以上に疲れを感じていましたが、ここで帰ってしまっては、人生において、こんな悲しい日はありません。ガソリンを満タンにし、お菓子を買い、新たな気持ちで出発しました。そうして辿り着いたハレポハクは、雪も斑という感じにしか残っていませんでしたが、私と紘右で楽しむには充分でした。マウナケの雪というものを手に取って、初めてじっくり見ましたが、1ミリくらいの角張った結晶のでした。食べてみたら、変な味がしなくて美味しかったです。


2002年2月2日(土)〜2月22日(金) オーストラリア旅行記(写真

この冬は、私の母の看病のため日本に長く帰国し、夫には不便な思いをさせてしまいました。−といっても、独身生活が長かったわが夫は、料理、掃除、買い物、実はどれをとっても普通の主婦並み以上にできます。でも、お互い離ればなればかりでは淋しいですから、今回は、「悪魔の2歳児」の息子・紘右を連れ、思い切って出張についていくことにしました。

まず荷物が大変な量:大きなスーツケースが3つ。カーシート。おもちゃとオムツの詰まった私の手荷物。コンピュータ、カメラなどが入った夫の重たい手荷物。そして、疲れると歩かなくなる14キロの地蔵(注;紘右のこと)。民族大移動という感じでした。その上、テロの後、空港のセキュリティー・チェックは非常に厳しく、もちろんスーツケースは開けさせられるし、靴も脱いでX線を通さなければなりませんでした。

【ここで、笑い話@】ヒロ発ホノルル行きの国内線の機内に座っていると、スチュワーデスがおもむろに、「履き物をお忘れの方!」と、男物のサンダルを見せています。ハワイでは、スーパーマーケットの中でさえ平気で裸足で歩いてる大人を見かけますが、ま・まさか今、飛行機に裸足で乗っている輩がいるいのでしょうか?夫と笑いとこらえ成り行きを見守っていると、三度いわれてやっと、一人の男がしぶしぶ手を挙げました。何だ、ちゃんとスニーカーを履いてるじゃない。でもホノルルで下りるとき、その男はまたサンダルを機内に残していきました。いらないなら、ちゃんと自分でゴミ箱に捨てなさいって。

さてホノルルに2泊し、2月4日にオーストラリアに移動でした。ホノルルから飛ぶカンタス航空のシドニー便は、夜中の12時過ぎに出発です。でも出発予定時刻は遅れに遅れて、機内に入れたのがちょうど夜中の12時、それから2時間も機内でイライラ待たなくてはなりませんでした。その2時間とは、2月5日。それが夫の誕生日でした。夫一言、「これって史上最悪の誕生日だ」。その上、ホノルルで、「いつも持ってくるアーミーナイフを忘れた」と嘆いている夫に、それなら誕生日プレゼントに買ってくるからと、私が時間を掛けて探し回り、ナイフやらハサミやらがたくさん出してくる高級アーミーナイフを見つけてきてプレゼントすると、「そうだ思い出した。セキュリティーに引っかからないように別の場所に入れたんだった。あったー」と、敢えなく新しいナイフは返品されてしまいました(残念ながら機能が多く重すぎた)。返品してから夫に、「あれ、誕生日プレゼントだったのにね」というと、「そういえばそうだったねー、あはは」と一笑されてしまいました。私の気持ちと時間を返せ

10時間のフライトをどうにかクリアし、シドニーに到着。ハワイとの時差は21時間。実質3時間。車は日本と同じ、左側通行で車を運転しやすい気がしました。でもここだけの話、夫は、一回アメリカのつもりで右側車線を走りました。それから驚いたことに、オーストラリアはチップがいりません。チップ社会に暮らしている私たちにとっては不思議な感じ。知らずにホテルのベッドにチップを置いておいたら、テレビの上にそのまま置いてありました。もしかして日本のホテルのメイドさんも、こんな感じでチップは受け取らないのかしら。

シドニーでの仕事を済ませ、次ぎは450キロ(東京から京都くらいかな?でもカンガルーが飛び出してくるような一般道で)移動して、クーナバラブランという田舎に行きました。ここでは天文台の中の、所長コテージと呼ばれる一軒家に滞在しました。ふと見ると、庭中カンガルーの糞だらけです。期待通り、毎日夕方になると、ぞろぞろカンガルーが出没しました。あの小さな手で背中とか掻いてるカンガルーって可愛すぎる!私はもう、熱烈カンガルー・ファンです。

【笑い話A】以前は、シドニーからクーナバラブランの側まで、小さなプロペラ機が飛んでいたそうです。でも、上昇するとき、パイロットは操縦桿を思いっきり引かなくてはならず、そのため車輪をしまうレバーをときどきお客様に回してもらっていたそうです。そのため安全性が疑われ廃止させられたそうです。その上、シドニーから飛んでいっても、着陸先の空港の電源は、パイロットがプロペラ機の中からリモコンで入れるとかで、下りても人っ子一人いない、タクシーさえ拾えない空港だったそうです。でもそんな飛行機、ちょっと乗ってみたかったな。

クーナバラブラン滞在中びっくりしたのは、昆虫の動く早さです。至る所で蟻が行列しているのですが、ハワイの蟻の一桁早い速度で動いている感じでした。ま、ハワイの蟻がとろいのでしょうが。でもハエもゴキブリも敏捷でした。ついでにいうと、オージー(オーストラリア人)も、せっかちでした。それも、ハワイの人がおっとりしているだけかもしれませんが。

【笑い話B】クーナバラブランから車で一時間足らずのダッボという町に、大きくて有名な動物園があると地元の人が教えてくれました。週末に行ってみると、サファリパークとは違い、広い園内を、電気自動車や、貸し自転車で回るようになっていました。天気もいいし、久しぶりに自転車に乗ってみよう−と思ったのが運の尽き。広い、とにかく広い。そして、暑い。私は初めて上野動物園の偉大さがわかりました。狭い動物園というのは動物がよく見られる。広い動物園というのは、動物の飼われているところもやたら広く、動物は遠くの木陰でごろんと寝ているだけ。よく見えないのです。炎天下の広大な園内を、まるで修行のように、汗をタラタラ流しながら、ひたすら自転車で走り続けました。何を見たっけ・・・それも思い出せないくらい、自転車に乗った記憶しかない動物園でした。

クーナバラブランで、夫がお世話になったオーストラリア人を、金曜日のランチに招待しました。現地の材料で、すき焼きを作ってみました。お箸もなく、フォークで食べました。彼に、「生玉子はいかがですか?」というと、心底驚いたように、「オーストラリアでは、生玉子は食べません」と、すき焼きをそのまま食べていました。そして、夫がうどん(こんな田舎で売られていたのです。しかし、箱にあった調理法は、まるでスパゲティようでした)をズルズルズルズルと音を立てて啜ったとき、顔が引きつっていました。欧米人には、麺を食べるとき、音を立てて啜ることは絶対にできないそうです。でも、すき焼きは気に入ったようで、レシピを聞いて、帰っていきました。その後、シドニーに戻る途中で立ち寄ったレストランで、私がシーザー・サラダを頼むと、目の前でドレッシングを作ってくれました。最初に入れたのが、生玉子。私がびっくり。でも待てよ、そういえばマヨネーズは生玉子で作るし、何だ、オーストラリア人だって、生玉子、食べているじゃん!

さて、再びシドニーに戻ってきて、週末はちょっと都会を楽しみました。シドニーに不味い物なし。エスニック料理、日本料理がとても美味しい(オーストラリア料理とは何か?大好きなカンガルーの肉は食べたくないし、ステーキはオージー・ビーフでしたが、あえていえばそれかなぁ)。それから、シドニーに貧乳なし(下品でごめんなさい、ちょっと日本の流行語が使ってみたかった)。変な話し、シドニーでは今そういうのがお洒落なのか、グラマラスな女性が、胸が強調されるタイトな服を着て、それも下着は付けていないのです。ときどき、本当に目のやり場に困るというか、あまりの立派さに見入ってしまうというか・・・カフェでラッテを飲みながら、「乳製品をたくさん取ると、こうなるのかな」と考えつつ、隣のおじさんたちを見ると、見てる見てる、そんな通りすがりの女性たちを。でも、それがちっともいやらしく感じられない、底抜けに明るい街・シドニーという感想です。オーストラリアに行くならやっぱり夏。この季節がお薦めですよ、男性諸君。

シドニーの郊外にある、私立のコアラパークに行きました。有り難いことに狭い。動物園は狭いに限ります。ちょうどコアラとの触れ合い時間とかで、順番に触ったり、写真を撮ったりできます。なんとふわふわの毛で可愛いことか。次ぎに、カンガルーが放し飼いにされている所にいくと、カンガルーの餌を売っていました。小さな紙袋に入ったただのおシリアルです。しかし、カンガルーはそれを見ると、しゃにむによこせと迫ってきます。奈良の鹿状態です。カンガルーは人に懐かないと聞いていましたが、あのチラノザウルスのような小さな手を人に引っかけて、袋を引き寄せようとするのです。その厚かましさが、私の琴線に触れました。可愛さ炸裂。今まで好きだった羊を抜いて、カンガルーは私の中の、動物ナンバーワンです。

夜、町の中心地をぐるりと走るモノレールに乗りました。一車両8人掛けの椅子に座り外を眺めていると、数人の日本人グループが乗り込んできて、狭い車内はいっぱいになりました。すると紘右を見て、「一番可愛い盛りね。でも可愛いのは3歳までよ」と、小さな声でいっている日本人を見ると、学校の一年先輩でした。思わず彼女の名前を呼ぶと、向こうも、「何でこんなところで会うの?」とびっくり。本当に、地球って狭いですね。

さて、オーストラリア出発の日。シドニー空港では、12月から南極に鯨の観測に出かけたKeikoが、偶然、シドニーから日本行きの飛行機に乗り継ぐため、ほぼ同時刻にそこにいることがわかっていました。私たちが空港に行くと、目の前をきょろきょろしながら通り過ぎていくKeikoを発見。2ヶ月ぶりの再会に、しばしお茶をしました。
Keiko「お土産に、カンガルーの人形での買おうかと思っていたのに、そちらもオーストラリアとはね」
ちあき「一年365日あって、世界中に空港があるのに、同じ空港に同じ時間にいるなんて、奇遇よね」
やがてKeikoは元気に日本へ。私たちは元気にハワイへと向かいました。


2002年2月2日(土) 

(旅立つ日の明け方、大慌てで表紙に書き記していった文章が以外に評判がよく、気をよくしてここに残すことにしました)

昨年の11月、母の急病のためバタバタと帰国し、
回復の目処が立った1月中旬、再びヒロに戻ってきました。
しかし2週間後の今日、今度は夫の出張に同行のため、
オーストラリアのクーナバラブランに行って来ます。

結局、ヒロにいたこの2週間は非常に慌ただしく、、
不覚にもHPの更新まで辿り着きませんでした。
しくしく・・・

マウナケアに大雪が降ったり、
向かいの家が3つに寸断されて1/3だけ運ばれていったり、
紘右の2歳の誕生日があったり、
更新したいことは盛りだくさんだったというのに。

そこで、せめて表紙だけでも
(何のことはない、表紙に日記を残そうとしている)
更新して旅立ちたく思います。

これがハワイの冬山です。

で、今回。ひとつだけ報告しておきたい愉快なお話。
2/2、ヒロを発ってホノルルに移動、2日滞在の後、
2/4の真夜中の飛行機でホノルルを発ちます。
そして、2/6の早朝のシドニーに到着します。

図らずも消滅する2月5日
この日は夫の誕生日でごさいます。
夫よ、今年はお祝いして上げられなくて、残念!
わはは。

それでは、いってまいります。
皆様、お元気で。

2002年2月2日記 ちあき