2002年7月

 

上へ
活火山の島
スライドする溶岩
ハンギング・バスケット
ホワイトパイナップル
動く溶岩(固定)
アボガド
夕方の虹
燃えるアスファルト
水槽のグッピー

 


注)立花隆著「サル学の現在」、下巻に入ったら、突然、眠りにくい本に変わってしまいました。サルの「子殺しの話」が中心になってきて、非常にショッキングです。眠くなる本(枕本)は、上巻だけです。下巻は、ぞっとするシーンがたくさん出てきますのでご注意を。


2002年7月31日(水) 晴れのち雨

鳥の羽根は濡れることもあるわけだからと、洗えないと書いてあった薄手の羽布団を丸ごと洗濯機で洗ってみました。ハワイの強い日差しで、あっという間に乾き、真新しい羽布団のようにきれいになりました。大成功。


2002年7月30日(火) 晴れ

今朝早く、Keikoとご主人が日本へ行ってしまいました。来週の木曜日まで、寂しいよう。

さて、やっと火山のビデオを公開できるようになりました。しかし、全然編集していないので、1分45秒ほど、ひたすら溶岩が海に流れ込む(それも暗くて、ぶれてて、わかりにくい)映像です。ダウンロードに時間が掛かる人は、諦めても損しません。それから、支離滅裂にしゃべっているのは男性ではなく、私です。いつも声が低いといわれる私です。

 溶岩の映像 【1.3MB: WINDOWS MEDIA PLAYERが必要です】


2002年7月29日(月) 晴れ

朝、FMラジオのスイッチを入れると、パフィーという日本の2人の女性歌手が、インタビューを受けているところが流れていました。ヒロのFMでから日本語が聞こえてくるとは思いもしませんでした。彼女たちは英語は全く話せないらしく、同時通訳の人がついていましたが、彼女たちの話す日本語も内容も、最低でした。語尾を強調し、舌足らずで、「うっそー」といっていました。全米進出ということでしたが、もう少し、まともなミュージシャンはいなかったのかと恥ずかしくなりました。しかし、英語になると、その軽薄な内容が、しっかりとした話になるので、通訳の力というか、通訳も話を飛ばしていましたから、あまりに無意味で訳さなかったところもあるのでしょう。本当にどうして、パフィーなのですか?だれか教えて。


2002年7月28日(日) 晴れ

馬に人参をあげるのは私と紘右の楽しみなのですが、人参をあげる馬は、もう3代目になりました。

最初に、「うまこ」と名付けた初代の茶色い馬は、「ハワイ生活二年生/ヒロの友達」に出てくる写真の馬ですが、だんだん周りの草の丈が高くなり、近づくのが難しくなりました。そこで次に、飛行機の中から、空港側に白い馬がいるのを見つけ、2代目は「ホワイト」と名付けた、滑走路横にいる白い大きな馬に人参をあげに行っていました。ところが突然、ホワイトはいなくなってしまいました。

約1ヶ月くらい、「どこかに人参をあげやすい馬はいないかな」と探していたのです。そしたら、灯台もと暗し、我が家から車で3分ほどのところに、茶色い小型の馬がいるのを見つけました。今度は、「こがた」と名前を付けました。

初めて人参をあげに行きましたが、ずっと遠くにいてちっとも近寄ってきません。一本人参を投げてやると、用心しながらゆっくりやってきました。が、食べたとたん、すぐそばに寄ってきて、「もっともっと」と、唇を突き出して、可愛い顔をしておねだりしました。歴代の馬たちに負けない可愛さです。馬は頭がいいので、一度人参をあげると、うちの車が止まっただけで近寄ってくるようになります。こがた、また来るからね〜。


2002年7月27日(土) 晴れ

この土日は、夫は仕事でした。平日と変わらない、紘右と2人で遊ぶ日々でした。

でも夜8時からは、夫と3人、法眼寺BON DANCEに行きました。実は、2週間前に、ヒロ本願寺BON DANCEに行きました。すると今回、そのときと同じ人がたくさん踊っていることに気が付きました。私が、「それにしてもボンダンスは、同じ日に重ならないよね」というと、夫が、「だって櫓の上を見てごらん。同じメンバーが太鼓を叩いて、唄ってるよ。きっと、ヒロ中のボンダンスを引き受けてるんだよ」といいます。櫓の上を見ると確かに同じ顔ぶれ、そしてこの間も思ったのですが、太鼓を叩いているのが、うちの隣のチャオさんというチャイニーズ・アメリカンのご夫婦にそっくりです。でも、年配の中国系の人たちですから、まさかこんなところで和太鼓を叩いているはずがありません。

しかし、櫓から降りてきて、そばで見たら、間違いなくチャオさんたちでした。驚いて声を掛けると、HBDCというイニシャルのついたはっぴを着ています。それは何かと訪ねると、「HILO BON DANCE CLUBの略だよ。はい、スケジュール表あげるよ」と、一枚の紙をくれました。見ると、3ヶ月間、ほぼ毎週末予定が入っていました。そして、「2番目に唄ったのは、うちの息子です」ともいわれました。あっけにとられた私は、「でもチャオさんちは、中国系アメリカ人ですよね?」とアホな質問をすると、「ハイ」といわれてしまいました。

ハワイで、日本伝統を守っている(楽しんでいる)のは、日本が恋しい日系人というわけはなさそうです。これは新たなハワイ文化です。でも、その手渡されたスケジュール表を見たら、「ヒロ近辺には、こんなにたくさんお寺関係があるの!?」と、さらにびっくりしたので、ここに掲載しておきます。ある意味、カルチャーショックを受けた夜でした。

 JUNE 15       HONOMU HENJOJI MISSION (ODAISHISAN)
  JUNE 22       PAPAIKOU HONGWANJI
  JUNE 29       HONOMU HONGWANJI
  JULY 06       PUNA HONGWANJI
  JULY 12/13  HILO HONGWANJI BETSUIN
  JULY 20       HILO MEISHOIN
  JULY 27       HILO HOOGANJI BESTUIN
  AUG 10        HILO HIGASHI HONGWANJI
  AUG 17        HILO NICHIREN MISSION
  AUG 24        HAKALAU JODO MISSION
  AUG 31        PAHOA Y.B.A. KAIKAN


2002年7月26日(金) 雨

友人から水槽を譲り受け、池のグッピーを室内で飼ってみることにしました。水槽に入れてみると、こんなに美しかったの?−というくらい、グッピーの泳ぎは、長いヒレや尾をひらひらさせて素敵です。おっとりしたグッピーの動きを見ていると、癒される気がしてきます。外では、池に落ちてくる何をもガツガツと食べ、すっかりピラニア化したかと思っていたのに。


2002年7月25日(木) 晴れたり雨が降ったり

昼に、ヒロに住んでいる中学からのクラスメート、Sumikoが昼に遊びに来ました。夫は山頂泊まりだし、火曜の新聞の写真を確認しに、今晩、また火山を見に行くことにしました。私、5回目。Sumiko、4回目。

行きの車中で、「こんなに恵まれた環境って、ないよね」「車を1時間半も走らせれば、目の前で溶岩が見られるなんて」「普通、何万円も払って、旅行して見に行くようなところだよ」「行くたび違って、毎日でも観察したい」・・・と、会話はエスカレートするばかり。彼女の仕事がなくて、私に子供がいなかったら、好奇心の固まりである2人は、本当に毎日通っているかもしれません。  

到着したのが9時過ぎで、ちょうどレンジャーが帰るころでした。レンジャーも連日遅くまでの勤務、さぞお疲れのことでしょう。ゆっくりお休みください(本音:帰ってしまってラッキー!)。つい先週、私が立っていたアスファルトは溶岩の下。そして赤く照らされた蒸気が上がる海に近づいて行こうとすると、前を流れたての溶岩に阻まれてしまいました。熱いし、悪いガスも出ています。

人々が立ちつくす辺りから静かに離れ、2人は暗黙のうちに懐中電灯を消し、わざと帰路をそれて歩き出しました(もちろん、古い溶岩の上です)。夫がいたら決して許してくれませんが、O型の2人は道なき道でも行ってしまいます。下に砂浜があり、崖が崩れなさそうなところを選び縁に近づくと・・・見えました、海にドボドボ落ちる赤い溶岩が。その場に座り込んで、しばらくじっと眺めていました。

海に落ちるところを初めてみたSumikoは感激して、「よし、今度の日曜日は、3時に起きてまた来るぞ」といっていました。私だって、朝日に輝く溶岩も見てみたい、私も誘って〜♪〜私を火山に連れてって〜♪〜(←この曲がわかる人は、世代が同じです)。


2002年7月24日(水) 雨のち晴れ  

今日の新聞の一面に、海に流れ落ちる、見事な溶岩の写真が掲載されていました。それによると、先週の金曜日に溶岩が海に到達し、土曜日に新しい道路が溶岩に埋められた−と、書かれています。その二つの節目を、私たちは見たことになります。ラッキー。

そして昨日、また新たに道路が溶岩に埋められたそうです。置かれていた簡易トイレを取り囲むように溶岩が流れ(トイレをうまくさけたとか)、新しい溶岩に囲まれて、ぽつんと簡易トイレが残っているそうです。見てみたい!一日、2500人もの見学者が訪れるそうです。

夫の同僚で、私たち以上に火山に入れあげているアメリカ人がいます。彼は、早朝派(4時頃から行く)で、レンジャーもいないため思う存分溶岩を観察できるそうです。その時間帯は、火山学者もよく来るとかで、彼の話だと、「火山学者はすごい。15分前まで赤かった、今黒くなったばかりの溶岩の上をひょいひょいって歩いていく。俺も付いて行こうとしたら、どんどん足が沈んでいくから慌てて止めた」−そうです。つまり、溶岩に片足が沈む前に、次の足を出せばいいということです。この原理でいくと、水の上だって歩けますね。恐ろしい。


2002年7月23日(火) 晴れ

小学校の横にある、小さいのですが、すべり台が10本もある遊具がある公園に初めて行くことにしました。ハワイでは日差しが強いので、外で遊ばせるのは、朝早いうちか夕方がベストです。朝食の片づけをさっさと済ませ、すぐ公園に行きました。昨日までの雨も上がり、今日は公園日和です。と、喜んで近寄ると、すべてのすべり台は、お日様にキラキラ照らされた水を満々とたたえいました。ああ雨の都、ヒロ。いったい一年に何日、すべり台を滑れることでしょう。


2002年7月22日(月) 雨  

毎晩、「明日、紘右と何して過ごそうかな?」と、考えるのが習慣になりました。ヒロにいると、殆ど用事はありませんから、何かひとつイベントがあるようにしてあげようと思います。それは、「小麦粘土を作ってあげる」とか、「買い物に行って、カートを押させる」など、小さなこともでいいのですが。

今日も全く用事がなかったので、カツオノエボシ(クラゲ)の頭の部分を持ち、触手がどれくらい長いか確認したい-という大義名分のもと、オネカハカハ・ビーチに行きました。平日のヒロのビーチは、泳いでいる人たった3人。他に、ハンサムな監視員が監視台に座っていて、手を挙げて挨拶してくれました(いい気分)。今日は、「ここまで砂なの?」と、思うほどの引き潮で、当然ながらカツオノエボシはいませんでした。

仕方がないので、紘右と二人、砂浜や、岩の上を、ただただ歩いてみました。小さなカニや、魚を見つけ、他にも閑そうに散歩している人を眺めたりしました。一週間にひとつほどしか用事のない今の自分の生活が、今日はとてもいとおしく思えました。


2002年7月21日(日) 雨  

昨日、クラゲのために泳げず、「海で泳ぎたい」という気持ちにスイッチが入ってしまった私たちは、お天気の悪いヒロを脱出し、またコナの海に行ってきました。心配したクラゲは、コナにはいませんでした。

夏休みもそろそろ終わりに近づき(8月1日から学校が始まります)、海岸にたくさん張られていたテントも数が減っていました。最近コスコで買ったお気に入りのリクライニングシートに座り、木陰で「サル学の現在」という本を読んでいたら、ぐっすり眠り込んでしまいました。途中、夫と紘右が、海から上がってきたのも気ずかずに(あまりに気持ちよさそうで、そっとしておいてくれたとか)。最高の休養でした。

この、立花隆の「サル学の現在」って、面白いけれど、すぐ眠たくなる本なのです。内容が、淡々としていて、どきどきするようなことが一切ないからでしょうか。夜眠れない方に、お薦めの一冊です。


2002年7月20日(土) 晴れ  

お天気がよかったので、ヒロで一番人気のあるオネカハカハ・ビーチに行きました。人はいっぱいいるのに、海に入っている人がいません。何か変だと思ったら、「クラゲが出ている」といわれました。ヒロに来て、ビーチにクラゲとは初めて聞きます。教えられたところを見ると、直径2cmくらいの、青い泡のようなクラゲが浮遊していました。大きいものは、10cmくらいです(←後で、このクラゲのことをインターネットで調べると、カツオノエボシだったことがわかりました。浮きのように海上を浮遊していて、風などで海岸に流されてくることがあり、刺されると危険なクラゲだそうです)。

不良みたいなお兄さんが、紙コップを片手に、海を歩き回っています。岸から子供や大人に、「あそこにクラゲがいる!」といわれると、コップですくい、岸に上がって足で踏みつぶしています。お尻が半分見えてて、怖そうな入れ墨もしているのに、みんなにあっちだこっちだといわれ移動していく不良のお兄さんが、けなげで微笑ましく思えました。

結局、海では泳げず、消化不良だった紘右の、「火山いこか」の一声で、夕方からまた火山を見に行きました。

今日は、途中でゲートが閉められていて、随分手前で車から下ろされました。見ると、最近まで車がターンするのに使っていた辺りまで溶岩が流れてきて、アスファルトが燃えていました。夏、夕立でアスファルトが濡れたときの匂いを10倍強くしたような匂いがしました。でも、相当悪いがガスがでているので、決して風下に行ってはいけません。

新たに溶岩で道が塞がれることを知ってなのか、土曜日の夜だからなのか、溢れかえるような見物人でいっぱいでした。そのうち、レンジャーに、「ここら辺ももうすぐ溶岩が来ます。下がって、下がって!」と、全員50m避難させられ、遠くから、またアスファルトが焼けるのを見ていました。

自然の力の大きさを、感じずにはいられませんでした。しかし、来るたび、こんなに違う様子を見せてくれて、毎日来たくなるから困ったものです。


2002年7月19日(金) 晴れ  

10日ぶりに溶岩の様子を見に行きました。夫の友人の話だと、溶岩の上を30分も歩かずとも、15分ほどで熱い溶岩のところに辿り着けるということでした。

今日は目の前で、海にドボドボと落ちる溶岩を見ることができました。何千度もある溶岩が海中に落ちるのですから、モクモクと白い蒸気があがり、そこに溶岩の赤さが反映し、夜の闇をバックに、幻想的としかいいようがありませんでした。できるだけ、溶岩の縁(海に突き出した)に立つと、それがよく見えるのですが、溶岩は突然、海に固まりで落ちることがあり、非常に危険です。

紘右を背負った夫は、安全なところから見ていますが、私はついつい、何も知らない本土のアメリカ人と一緒に、溶岩の縁へ縁へとにじり寄っていってしまい、夫から何度も教育的指導を受け、引き戻されました。

岩が溶けた溶岩なのに、まるで泥水のように、海にボタボタ落ち続け、きっと海中でも、売られているビデオで見られるように、丸い、海獣の頭のような状態で、冷え切るまでは、水の中をも流れ続けていくのです。ラバ・ピロウ(溶岩枕)と呼ばれています。


2002年7月18日(木) 晴れ  

10日くらい前から、夜になると、茶色い小さなカツオブシムシがキッチンをたくさん飛行するようになりました。この6年、ヒロでは見たことなかったので、「日本から持ってきた食料に付いていたんだ」と、豆などチェックしてみましたが、どこにもいませんでした。

今日、飲み水用カートリッジを代えようと、踏み台に上って高い棚の扉を開けると、すごい異臭がします。原因は、これだ!夫の実家からもらってきた干し椎茸。大分の親戚が作ってくれた無消毒の天日干しものです。。2重にしたビニール袋の中の干し椎茸は、もうふわふわの物体(虫の糞?脱皮したもの?)に変わっています。恐ろしくて開けることもできませんでした。もう一枚ビニールをかぶせ、すぐ捨てました。義母様、ごめんなさい。

インターネットで調べてみると、乾物ばかりか、衣類や、埃を食べても生きていけるとか。これがきっかけで、常夏のヒロで大繁殖したらどうしましょう。でも、カビを食べてくれるなら、いてもいいよ、カツオブシムシ。


2002年7月17日(水) 晴れのち雨  

虹が出ました。キッチン窓から、こんな虹が見えました。


2002年7月16日(火) 晴れ  

スコットの家の黒猫と、茶色い猫が毎日のように遊びに来ます。この猫たちの目的は、キャットニップ(西洋版マタタビ)をもらうためです。その猫用に売られている乾燥ハーブをあげると、グルグルいいながら、体を擦りつけ転げ回り、幸せに酔いしれています。以前、日本から、「マタタビの小枝」というのも買ってきてあげたことがありましたが、見向きもしませんでした。マタタビは、和猫専用でしょうか?

キャットニップは、たぶんシソ科だと思います。花の部分も入っていて、中からシソそっくりな種が出来てます。それを靴でつぶしてやったりすると、更にふにゃふにゃになり、「もう、たまりません。溶けてしまいます・・・」という至福状態に陥ります。

が、なめ終わると、お尻を向けてとっとと家に帰っていきます。現金な輩です。


2002年7月15日(月) 晴れ  【長編ヘレオンバス物語】

時刻表を見るのが嫌いな私が、朝からヘレオン・バスのタイム・スケジュールを眺めていました。ふと、そういえばうちから10m離れた道路を、いつもヘレオンが通っていることを思い出し、スケジュールを確認すると、あと10分後の8時50分にその道をバスが通過し、ヒロの町中を一周することがわかりました。2日前のリベンジ。今日こそ、ヘレオンバスに乗ってみよう。

バスに乗りたがっている紘右を連れだし、半信半疑でその道の脇に立って待ってみました。来ました、小型のヘレオンバスです。手を挙げると、タクシーのように止まってくれました。「バニアンドライブまで」と行き先を告げると、「75セント」といわれました。お客さんの数は私たちを入れて7人。一人の日系人のおばさんが、大きな声でドライバーに話しかけています。「ねーねー、何の魚が好き?私は、オパカパカ」。

話掛けられた年配の女性ドライバーは迷惑がっているかと思いきや、「そうねー、モイ、オノ、カレ」と、嬉しそうに答えています。二人の会話は大声で弾みに弾み、やがてドライバーは車内アナウンス用マイクを手に持ち、「この間、釣りに行ったのよ。そしたら、マヒマヒが・・・」と、おしゃべりが続きました。公共のバスなのに、信じられない。

やがて、この土曜日に、夫たちが1時間半待っていたバスターミナルにしばらく停車しました。簡易のターミナルの建物の中には、10人ほどのホームレスが寝ています。ヒロの町で単独で見かけるお馴染みの顔が、一同に揃っている感じで圧巻でした。そこから乗り込んできた白人のおばあさん(この人は普通)は、これまたドライバーとも、日系人のおばさんとも親しいらしく、止まっているバスの中に3人の大声会話が響き渡っています。

話に区切りがついたのを見計らって、ドライバーに、「5時半に出るワイメア行きのヘレオンは、隣の駐車場から出るの?」と、質問すると、「そうよ。でもね、車が一台も止まっていなかったら、素通りするから」といわれました。うーん、油断ならないバスです。

その後、ヒロの中をぐるぐると、同じところを2回通ったりしながら、バスは走り続けました。日系人のおばさんが、「フランシス(ドライバーの名前)、今日はこの後、どう走る予定?」と聞くと、ドライバーは、「この後、もう一回町中を回ったら、次ぎはパホアよ」。すると日系人のおばさんは、「じゃ、パホア行くときも乗ることにするわ。フランシスと話してるとリラックスできるから」といいました。おしゃべりするために乗っているのね、この人!

雨も降ってきたので、バニアンドライブで降りるのは止めて、そのまま同じバスに乗って、乗ったところで下ろしてもらうことにしました。そうドライバーにいうと、再度75セント。家に近づいたところで、開いてる窓から紘右が顔を出し、私が「紘右!止めなさい。座りなさい!」と注意すると、日系人のおばさんが、「あら、彼女、今、子供の名前を「こうすけ」っていったはね。日本人なのね。中国人かと思ってたんだけど」と、白人のおばあさんと、新しい話題に飛びつくように会話し始めました。

私、ずっと会話には参加してませんが、いわれていることはわかるんですけど、と思っていると、日系人のおばさんが英語で話しかけてきました。「貴方、ビジター?それともここに住んでるの?何で?」。私が、「夫が山頂の天文台で仕事してるので」というと、白人のおばあさんが、「あら。山の仕事はいいお金になるのよね。体力がいるから(←それは工事現場の話でしょう)・・・云々」。私は訂正をする間もなく降りたのですが、しばらく、私を魚に、会話が盛り上がりそうでした。

家に着いて時計を見ると10時40分でした。この端から端まで、たった15分で行き来ヒロを、こんなに時間を掛けて一周したのは初めてのことでした。早速、またタイム・スケジュールを見ましたが、私が回ったルートのバスは存在せず、この時間に家に帰ってこられたのが不思議でわけがわかりませんでした(←こう書いた後、もう一回時刻表とにらめっこしたら、存在しました。でも、わかりにく過ぎる、ヘレオンのタイム・スケジュール)。

我が家では、当てに出来ない幻のヘレオン・バスと呼ぶことになりそうです。まるで、トトロのネコバスみたい。


2002年7月14日(日) 晴れ

昨日のお詫びもかねて、今日は私だけで紘右を連れ出すことにしました。ハワイ島に来てすぐに1回だけ行った、「ホット・スプリング」と呼ばれる、海水が地熱で暖めらた、ぬるい温泉のようになっている池(でも海水)に連れて行くことにしました。

到着すると、夏休みということもあり、駐車場から車は溢れ、池の周りはバーベキューの煙に包まれていました。池の中に入ると、温かい海水は気持ちいいのですが、底は藻でぬるぬる。小さな巻き貝がいるのも見えて・・・正直いって気持ち悪いのです。日本人だと、「こんな汚い露天風呂には尋常には入れない」という気分になってしまうのです。

それでも、紘右は水は温かいし、葉っぱや木の実も浮いているし、大喜びで遊んでいます。私は、できるだけ岩壁の側で、お風呂につかるように、水の中を見ないように大人しく入っていました。我慢大会に参加しているような気がしました。

やっぱり水が冷たくても、水平線から青空に繋がる、太平洋に続く広い青い海がいい(ホット・スプリングの水は濃い緑色)。来週末もまた、コナの海に行こう!


2002年7月13日(土) 晴れ

日本にいる間に、電車(踏切も)とバスをこよなく愛するようになった紘右が、ヒロではそれらに全く乗れず(電車はありません)、不満がたまり始めていました。そこで、朝5時半にヒロを出て、7時前にワイメアに到着する、へレオンという公共バスに乗せてあげることにしました。

前日から、「明日は早起きしてバスに乗ろうね」というと、夜も早く寝るし、朝5時に起こしても泣かずに「バス。バス」といって起きました。そして、5時10分には夫と紘右をバス停に下ろし、私はうちの車でワイメアに向かいました。6時40分、ワイメアに向かう車の中で私の携帯電話が鳴りました。少し早めにワイメアに着いたのかな?と、電話に出ると、夫の沈んだ声で、「まだヒロのバスターミナルにいる。バス来なかったよ」。

インターネットで、バスの時間を調べたのは私です。バスターミナルから我が家に歩いて帰ることはできないし、私は携帯電話の電波の届かないところを走っていたため、すでに1時間半もバスターミナルにいさせてしまい、いったいどう詫びたらいいのでしょう。「すぐにヒロに戻るから!」と、私は大急ぎで車をUターンされ、再びヒロに向かって車を走らせました。しかし、ヒロに戻れるのは40分後です。・・・夫と紘右は、朝6時からやってる近くの床屋で散髪しながら、私が来るのを待っていました。

頭もさっぱりし、気持ちも新たにコナ方面へ海水浴に出かけたのですが、責任を感じて往復の車の運転は殆ど私がしました。夕方、家に戻り、大急ぎでへレオンバスの時刻表をもう一度チェックすると、そのバスは、バスターミナルからではなく、近くの駐車場から出ると書いてありました。しかし、夫もインターネットを見て、「この書き方じゃわからないな」と一応納得はしてくれました。

しかし、夫と紘右には全く頭が上がらなくなりました。ごめんなさーい。


2002年7月12日(金) 晴れ

この数ヶ月ほど、スプラウトを常食しています。スプラウトとは、各種種を発芽させた、もやしやアルファルファなどのことです。アメリカ人は結構これらが好きなので、どこででも売られています。私のお気に入りは、クローバーのスプラウトです。くせもなく、そのままドレッシングを掛けて食べられます。

-というのも、スプラウトは茹でると、大事な栄養素が抜けてしまうそうで、そのまま食すのがいいそうです。ブロッコリーのスプラウトは、癌予防にとても効果があるそうで、母に食べるよう勧めていますが、食べず嫌いでいやがっています。この場を借りて・・・お母さん、食べた方がいいよ!

さて、数日前からマスタードの種を発芽させてスプラウトを作ろうと、種をよく水で洗い、きれいな瓶に入れ、上にガーゼを掛け、毎日水を取り替えて育てていました。一晩でかわいい根が出てきました。毎日、うきうき見ていたのですが、だんだん妙な粘りけが出てきました。においを嗅いだら、腐っていました。恐るべし、ヒロのカビ(灯台の話によると、バクテリアか!?)。

Keiko、Sumiko、ということで、自慢したマスタード・スプラウトは今日捨てました。


2002年7月11日(木) 晴れ

気持ちのいい1日でした。

我が家の庭にあるアボガドの木が、今年は豊作です。まだ若い木で、去年、初めて5つほど実を付けたのですが、今年は突然、鈴なり状態になりました。実が大きくなるに従って、重さで枝がしなり、芝生に接触しています。去年は、濃厚で、非常に美味しいアボガドでしたが、これだけ成ると果たしてどんな味なのか・・・?

あと2ヶ月ほどで食べ頃だそうですが、労働ビザを取ったKeikoが道ばたで売ってくれるそうです。2人で小遣い稼ぎしようね。


2002年7月10日(水) 雨のち晴れ

夕方、空港の側で、飛行機を見せながら紘右を遊ばせていました。そこにパトカーが一台来て、少し離れたところに止まりました。パトカーを見るだけで緊張してしまう私は、こんなところで遊んでいるのを注意されたらどうしようと、不安でそちらをちらちら見ていました。しばらくすると近づいてきて、「やあ、こんにちわ。名前は何ていうの?」。ドキドキ、職務質問?

−と思ったら、「僕はINGっていうんだ。母は日系人で、父は中国人だよ。可愛い男の子だねえ、いくつ?」と、ただただ世間話をしていきました。30分ほど話し込んで(早くどこかに行ってと心の中では思っていた)、「貴方に会えてよかった。またね」と行ってしまいました。ナンパとはいいませんが、お巡りさん、ヒマでしたね。住んでて嬉しい、ポリスがヒマな平和な町。



2002年7月9日(火) 晴れのち雨

日本からみえたご夫婦と、再び夜の火山見学に行きました。今までで一番流れの幅が大きかったと思います。今回、夫は山に行っていて不参加で、私が15キロの紘右を背負いました。

溶岩の近くに三脚をセットして連続写真を撮ろうとすると、顔が熱くて仕方ありません。我慢して撮ろうとすると背中の紘右が、「ちやい(嫌い)、かざん。あっちいこー」と、溶岩の反対側を指さして泣きます。「お願い、もうちょっと撮らせて」と頼んでも、私の頭を両手で回し、ハンドル操作して反対側に向けます。諦めて、遠くから写真を撮りました。
迫力ありませんが、今度は固定されたスライドする写真です。



2002年7月8日(月) 晴れ

ホワイトパイナップルの季節になりました。何回も日記で説明しましたが、パイナップルの緑の葉の部分をもぎ取って、それをしばらく水耕栽培し、根が出てきたら土に植えると、2年後に立派なパイナップルの実がなります。またその実の緑のところを取って・・・と、繰り返せば、パイナップル永遠になくならない説−となります。

そうやって育てたパイナップル畑に、今年もこのようにパイナップルが実りました。このホワイトパイナップルの美味しさは、ことばでどう表現していいものやら。とくに、枝で熟れさせると絶品です。香り高く、甘く、柔らかく、口に入れると幸せになる味と書いても、また伝わらないかもしれません。


2002年7月7日(日) 雨のち晴れ

今度の火曜日にお客様がみえるのに目印になる、ポストの横に掛けてあるハンギング・バスケットに新しい花を植えました。これで10代目くらいになります。水はけがよすぎて、油断するとすぐ枯れてしまうのです。旅行に出かけ戻ってくると、まず枯れています。

し今はこんなにきれいなので、うちにいらっしゃる方、どうぞこれを目印にしてください。


2002年7月4日(木) 晴れ

独立記念日の休日でした。今晩は一年に2回だけ、打ち上げ花火を上げていい日です。地元の人に、「ハワイ島で一番見事な花火は、カイルア・コナのヒルトン・ワイコロアだよ」と教えられ、午後から花火を見るためにコナに行きました。

ヒルトンの敷地に入ってみると、駐車場は全く空いてません。敷地内の道沿いに、車がびっちり止まっています。どうにか駐車スペースを見つけ、私たちも池の周りの芝生の上に、椅子を並べて待機しました。たくさんの人々が、芝生の上に寝そべり、大笑いしながら食事をしたり、遊んだリしながら暗くなるのをのんびり待っていました。日本の、お花見や花火の殺気だった場所取り合戦とは全く違いました。

8時半になると、ハワイアンミュージックとカウントダウンの後、目の前の池で花火が上がり始めました。目の前なので迫力はありますが、日本なら、人形町辺りに行けば素人でも手に入るような規模です。「やっぱり花火は日本に限るわ」と思ったとたん、私たちの背後のゴルフ場から、大きな打ち上げ花火が上がり始めました。音と光が同時という、こんな近い巨大打ち上げ花火は今まで経験したことはありません。もう、ジェットコースターに乗ったときのように、「きゃー、すごい!怖い。お願い、もう止めて〜。きゃーすごい!最高!」と、興奮のあまりわけのわからないことを叫んでしまいました(不覚にも、夫と紘右に聞かれていた)。とっても楽しい夜でした。


2002年7月3日(水) 晴れのち雨

性懲りもなく、また夜、火山見学に行きました。今回は、見ている途中で大雨に降られ、びしょびしょになってしまいました。それでも、灼熱の溶岩の側に立っていると、濡れた先から乾いてはいくのですが、だからといって雨の中、一晩中溶岩の前にいるわけにもいかず、濡れながら帰路につきました。しかし火山は、本当に何回見ても飽きません。

今回の写真は動きをお見せしたいと連続接写しました。本来ならば三脚を使って撮るべきでしたが壊れていたため、多少手振れしています。お見苦しい点、お許しください。大地が揺れていて、酔いませんように。


2002年7月2日(火) 晴れのち小雨

を作りました。

巨大なすいか一個分のジュースを漉して絞り(約4リットル)、それを6時間煮ます。すると、300ccくらいの赤茶色のすいか水飴ができます。これをすいか糖といいます。

このすいか糖を1日3回×スプーン1杯なめると、腎臓の機能を助け、むくみが取れたり、二日酔いにも効くそうです。私はすいか好きなので、この味にはまりました。すごく手間は掛かりますが、なくなったらまた作ってしまいそうです。夫は、「煮ている間、ずっとすいか臭いから止めてくれ」といっていますが。


2002年7月1日(月) 晴れのち小雨

日本から帰国して約一週間、紘右の時差ボケ(夜中まで起きてる)や、夫が山に泊まり込みで出かけたり、自分の時間が全くない状態でした。こういうのが続くとストレスが貯まります。

でも週末は、久しぶりに活発になった火山に2回行きました。最近、また新しく道路が塞がれそうで、アメリカ本土からも続々観光客が駆けつけています。夕方、早い時間に行くと車が混雑していますから、二晩、9時過ぎに火山見学に出かけました。暗い方が迫力もありますし。

車を止めてから、約30分古い溶岩の上を歩いていくと、流れ出てくる溶岩が目の前で見られるところに行けます。もう、「感動」のひとことに尽きます。目の前でパチパチと音を立て、岩ができていくのですから、いつまでもいつまでも見ていたい気分になります。しかし、「また見に来るから」と自分と説得し、後ろ髪引かれる思いで帰ってきました。

キャラメルのような溶岩の様子をデジカメで撮影。この感動を伝えたくて、たくさん撮りました。ダウンロードに時間が掛かることをご覚悟の上、ご覧ください。画面から、熱さが伝わったら嬉しいです!