2002年8月31日(土) 晴れ
久しぶりの一日晴れで、庭仕事をしました。今、ツタと雑草がひどいのがシダの茂みなので、そこに入り込んで作業するときは、虫に刺されたり、植物で怪我したりしないよう、髪をあげバンダナで三角巾、長袖、長ズボン、ゴム長靴、ビニール手袋という出で立ちです。決して人様にお見せできる姿ではありません。
汗と泥で顔をぐしゃぐしゃにしながら、親指ほどに太くなったヘクソカズラの根っこをひっぱていると、道を通る黒いベンツがスピードを落として窓を開けました。我が家の隣りに四軒の家を持つ、憧れのお医者様、ロイ様が笑顔で手を挙げていました。うわ〜、一番見られたくなかったお方!ロイ様んちなんて、庭師4〜5人使っていますから。こんな姿でも、私だとおわかりになられたのですか、しくしく。
【今日の紘右】
やっと顔のむくみも取れ、おしゃべりでニコニコ顔の紘右に戻りました。馬に人参をあげに行ったら、馬の鼻面を平気で撫でていたので驚きました。
2002年8月30日(金) 雨のち晴れ
コナであった天文の研究会に、オーストラリアで夫がお世話になった関係者が数人来ていました。昼間、山頂に案内した後、夕食は我が家ですることになりました。突然、今朝決めたので、メニューは簡単に、ドライカレー、チキンのブラウンソース煮、サフランライス、ポテトサラダ、デザートにしました。
オーストラリア人が4人、日本人が3人、我が家が3人+子供1人ということで、約10人分でした。ドライカレーは、午前中に作っておけるからとメニューにいれましたが、大きな玉葱7個分のみじん切りを茶色くなるまで炒めるのに、結局、1時間半も掛かってしまいました。そして、カレー粉を入れてからも水分が飛ぶまで煮たので、家中カレー臭くなり、洋服も3回着替える羽目になりました。10人分のドライカレーは、人生でもう二度と作りたくありません。
何日も旅行中だとオーストラリアの食事が恋しいかと思い、向こうで食べたものを思い出して作ってみましたが、いらしてみたらオーストラリアから来たとはいえ、オージー1人、イギリス2人、ニュージーランド1人でした。でも、「オーストラリアの料理って何?」と質問したら、「ないかも。各国の料理かな」といっていたので、つまり何でもよかったみたいです。
動物の話しあり、天文、英語の訛り、食べ物のことなどなど、遅くまで話題は尽きず、みなさん喜んで11時前に帰っていかれました。多めに作ったはずの料理は、鶏肉二切れを残すのみで、全部なくなってしまいました。料理人冥利に尽きます。ドライカレーの料理中に立ち寄ったKeikoが、「わ〜美味しそう、残りを冷凍して食べさせてね」といってくれたのに。我が家のベスト3に残る、楽しいパーティーの夜でした。
【今日の紘右】
今朝もささやかな登園抵抗がありましたが、プレスクールに行きました。午前中、1人で寝てしまったそうで、まだまだ熱の疲れが残っているようです。
2002年8月29日(木) 晴れのち雨
ボーダースで、ハリーコニックJr.のCDが何枚かセールになっていたので、ひとつ買いました。タイトルも見ず、ジャケットの写真が、真っ赤なネルのシャツを着てて格好よかったのを選びました。早速、帰りの車で聴いたら大当たりCDでした。懐かしくて、都会的で、元気が出る素敵なCDでした。慎重に試聴して買ったはずのクラシック・ヨーヨーというヨーヨー・マのCDよりよかったです。
Songs I Heardという、殆どが古いディズニーの映画音楽を歌ったものです(でも、ハリーコニックJr.が好きな人ではないとクセのある声がいやかもしれません)。私にとっては、ハリーがジャズ風に歌うと、「ドレミの歌」までしびれてしまいます。それから、メリーポピンズの曲がたくさんあるのですが、Supercalifragilisticexpialidocious(スーパーカリフラジリスティックエクスパリドーシャス)という曲をご存じですか?この長い単語の意味が知りたくなり、手持ちの辞書で調べましたが載っていませんでした。もしもご存じの方がいらしたたら教えて頂けないでしょうか?
*掲示板でお馴染みのおいちゃんがすぐ調べてくれました。下記のような意味だそうです。今度、プレスクールの先生にいってみようかな♪
高度に教育できる極端で繊細な美しさを償うこと(super-超,cali-美,fragilistic-繊細な,expiali-償う,docious教育できる),映画Mary
Poppins(1964)用に発明された語
【今日の紘右】
病み上がり後の初めての保育園の日。朝から、「がっこ、いや〜」と、制服のTシャツを着るのをいやがりました。赤いカーディナルという鳥が付いたTシャツなのですが、無理矢理着せたら、「とり、いや〜」、「とり、いや〜」と、シャツを引っ張っていました。でも、保育園についたら、自分で中に入っていきました。さて、明朝はどう出るかな?
2002年8月23日(金)〜8月28日(水) コナ滞在
コナのヒルトン・ワイコロアで、SPIEという天文の研究会があり、私たちも一緒にコンドミニアムに滞在しました。
金曜日にプレスクールの先生に、「紘右は、来週の月火水は休みます」というと、「なぜ!?」とびっくりされ、「夫の仕事についてコナに行く」というと、「じゃ、紘右は最初に戻っちゃうわね」と、いやな顔をされました。ま、紘右は学校が好きだし大丈夫−と、そのままコナに移動すると、珍しく車酔いしたような顔をしていました。そして、土曜日の昼から3日間、熱を出してしまいました。
コナでは、紘右の看病と、外食できないので毎食作り、洗濯、殆どコンドミニアムから外に出ることなく、「一体、コナに何をしにきた!?」という生活を一週間近くしてきました。コナに出かけて、こんなに生活に疲れたのは初めてです。
紘右の熱は、お医者さんに聞きましたが、プレスクールに行き、初めての英語や友達の中で疲れてしまったの(=知恵熱?;アメリカにはこれに当たる単語はない)だろうということでした。確かに、鼻や咳も出ず、風邪ではありませんでした。
ということで、写真も撮らず、エピソードもなく、人生から消滅してしまったような6日間でした。ちゃんちゃん。
2002年8月22日(木) 晴れ
夫の職場に、火山に入れ込んでいるブライアンというアメリカ人がいます。週末は早朝から火山に行き、たくさんビデオを撮っていました。その彼が、プロのスタジオでビデオを編集し、オリジナル溶岩ビデオを作りました。うちにも一本もってきて、「どこが面白くて、つまらなかったか教えてくれ」といわれたそうです。将来、販売する気なのかしら?
母と見たら、「もう苦労して、溶岩を見に行かなくてもいい」と思うくらいの迫力でした。忍者のように、できたての溶岩の上をひょいひょい歩いていく火山学者の映像もあり、とくにある溶岩の上にさしかかると、焦ったようにぴょんぴょん走り出すので、「あれはよっぽど熱かったに違いない」と笑えました。母は、あまりに大量に流れる溶岩に、「地球の中身が出つくしちゃうんじゃない」とあらぬ心配をしていました。皆様にもお見せしたい!
【今日の紘右】
今日は、朝、紘右を残してすぐに保育園を離れました。お昼寝から覚めるころを見計らって午後迎えに行くと、今日は一日元気で、泣かなかったそうです。そして、「紘右はオムツを卒業できそうだから、明日からパンツにしましょう」といわれました。先生、本当にいいんですか?オムツが取れたら嬉しいけれど。
2002年8月21日(水) 晴れ
今日から来週の水曜まで、コナで天文関係の大きな研究会があり、夫はお昼ごろ、コナに出かけていきました。ヒルトンの2ベッドルームのコンドミニアムを取ってあり、私たちも金曜の午後、紘右の保育園が終わってから行きます。来週は、保育園を休ませ、私たちも水曜日までいる予定です。
ヒロのダウンタウンを車で走っていたら、チリに引っ越したはずのチリ人の女友達が、かき氷を食べながら歩いていてびっくりしました。彼女のご主人は、ジェミナイという望遠鏡で働いていて、コナの研究会に出席するので付いて来たそうです。何年ぶりかの再会でした。
来週の火曜日まで、更新はお休み致します。真っ黒に日焼けして戻って来ま〜す。
【今日の紘右】
8時〜2時まで、フルに保育園にいる上、親はいてもいなくてもいい日でした。9時半に外遊びを始めたのを確認して、一度家に帰りました。家に帰って、お弁当に持たせたホット・サンドイッチを一口食べてみたら、冷えるとカチカチになることがわかり、急いでご飯のお弁当を作り、再び11時ごろ保育園に行き、そのままそ〜っと帰ろうとしたら見つかってしまい、仕方なく、また昼寝するまでいて、12時半にもう家に帰りました。そしてお迎えに行き、結局、家と園を、三往復する羽目に。ずっといるより疲れたかも。
2002年8月20日(火) 晴れときどき雨
インターネットで、J−WAVEという東京のFM局を聴いていたら、ニューヨークに住んでいるDJが、「この間、拾ったお金を集めているのを数えてみたら38ドルもあり、友達と食事しました。1セントとか拾って、こんなになったんですよ」と、自慢していました。「へえー、ちりも積もれば山となる・だ」、と、感心していると、紘右が出先で3回、25セント、1セント、1セント(ついでにボタンも)拾ってきました。面白いので、「紘右の貯金箱」と書いた瓶を作り、しばらく貯めてみることにしました。たくさん集まったら寄付します。本当です。
【今日の紘右】
保育園4日目。8時〜2時と、初めてフルにいる日でした。ちゃんと午後の昼寝までしていました。おやつのときは、テーブルに一番最初に座って、一番最後まで食べてる、相当食いしん坊であるということがわかりました。
2002年8月19日(月) 晴れときどき雨
病後、食が細くなった母のために、奮発してヒロで一番高い、「望」というお米を買いました。カリフォルニア・コシヒカリと書かれていて、9ポンドで20ドルします。日系人の人たちが常食しているという、カリフォルニアGライスが、20ポンド6ドルですから、高級米です。これまでは、「玉錦」という、セールのとき、9ポンド、11ドルで買える米を食べてきましたが、これもヒロでは高級米です。しかし、帰国したときは、夫の母が、親戚が自家用に作ったという天日干しのお米をくれるので、口がすっかり肥えてしまい、ハワイに戻って来て玉錦米を食べると、がっかりしてしまいます。悲しいことに。
さて、この望米は、すばるファミリーの間でも評判で、買うときにレジで必ず、「こんな高いお米を買うんですか?」と、聞かれるといわれています(私たちも本当に聞かれました)。期待できそうです。
袋から米びつに米を移動させるとき、「やけにグレーのお米だな」と、少しいやな予感がしました。米を研ぐと、黒い汁が出ました。ますますいやな予感。米が炊きあがると、カニの穴も出来ず、真ん中がべしゃっと沈んでいます。最悪?おそるおそる口に入れると、「ま・不味い!」。母は、「酸っぱい」といっています。これは変だということになり、米びつの中をよ〜く見ると、虫が・・・ガーーン。幸いなことにアメリカですから、もちろん袋に戻して返品できます。和紙風の高級感漂う袋には、「新米」というシールが貼ってあります。しかし、不幸なことにアメリカですから、食品の製造年月日は明記されていないのです。もしかしたらこのお米、3年くらい前に「新米」シールが貼られ、その後、温度管理のなっていない倉庫で眠っていたのかもしれません。
スーパーは、もちろん引き取ってくれましたが、次のお米を選ぶとき、製造年月日がないので、もう何を選んでいいのかわからなくなりました。夫と吟味した末、田牧米(無洗米)、10ポンド17ドルにしてみました。家で袋を開けたら、虫がいなくて、白かったので、この米をしばらく食べます。日本人にはあまりに辛い、ヒロの米事情レポートでした。
【今日の紘右】
保育園3日目。4時間いる日でしたが、先生に、「紘右は大丈夫そうだから、1時間くらい消えてみてください」と、私だけ家に帰らされました。泣きもせず、ケロっとしていました。
2002年8月18日(日) 晴れときどき雨
母が10ヶ月ぶりにヒロに来ました。
去年の11月、軽い気持ちで受けた検査で、中期の肝臓癌が見つかり、そのまま年内大学病院に入院していた母です。幸い、癌をラジオ波で焼き切ることに成功し、現在も治療中なのですが、この夏の日本の暑さもあり、お医者様から一ヶ月だけハワイに避暑に行っていいといわれるところまで回復しました。10年前、父を同じ肝臓癌で亡くした私にとって、医療の進歩を感じずにはいられません。癌が見つかり、2ヶ月後には亡くなった父も、今だったら回復できたかもしれません。タイムマシンがあったらいいのに。
一人っ子の私にとって、母がヒロに来ている間は、本当に安心します。空港にお迎えにいったら、紘右もおばあちゃんをよく覚えていて、走って手を繋ぎに行き、母は嬉しくて溶けそうになっていました。ヒロに来た母が、「ここはクーラーの効き過ぎよ」と、冗談をいうくらい、日本の方が暑いそうです。一ヶ月、ゆっくり療養していってくださいませ。
2002年8月17日(土) 晴れ
Keikoの家で、夕方からパーティーがありました。集まるまで、だれが来るのか、人数もよくわからない、パーティーでしたが、器が大きいと、それでも全く大丈夫でした。全員、「すばる」関係者でしたが、テラスに男性たちが陣取り、室内に女性陣が集まり、外は、会議の続きみたいな話(らしかった)、中では、Keikoが手塚治虫からもらったという、手紙(5通も!)、海のトリトンのセル画、イラスト入り色紙などを見せてもらい、大いに盛り上がりました。熱烈な手塚治虫のファンのある人は床にひれ伏したまま、感動して固まっていました。Keikoのこのお宝、「お宝探偵団」という有名番組にも出せるくらいのすごい代物です。久しぶりにたくさんの人たちとおしゃべりした楽しい夜でした。
2002年8月16日(金) 晴れ
日系人の友人から、「食べてみてね」と、庭でできたヘチマをもらいました。彼女のレシピによると、「ヘチマの皮をむいて、種ごと適当な大きさに切る。油に、桜エビとみじん切りのガーリックを入れ、香りが出たらヘチマを入れ炒める。そのうち汁がたくさん出るので、塩こしょうで味付けする。出来立てより、翌日、そこにそうめんを入れて食べると美味しい」というものでした。でも内心は、「えー、あのタワシや、コロンにするヘチマを食べるの!?」と、びっくりしました。
レシピ通り作ってみました。ヘチマ・コロンの元を食べているわけで、体にもいい気がしました。冬瓜と同じ感じでしたが、種がプチプチしていて、プチプチ嫌いの夫には不評でした。私一人で食べました。美味しかったけど、人生に於いて食べるのは一回だけでいい気がしました。
【今日の紘右】
休日でプレスクールはお休み。学校の側を車で通ったら、「がっこいくー」と、騒いでいた。いつまでそんな風にいってくれるか・・・一人で行くようになっても大丈夫かな?
2002年8月15日(木) 晴れ
最近、リリコイ(パッションフルーツ)にはまっています。カラスウリを大きくしたような、中の種と、種の周りのゼリー状の物を食べる果物です。今、シーズンなので、ファーマーズマーケットで、12個2ドルという安さです。以前、日本から来た友人が、「半分に切って、種を捨てたら、固い皮しだけになっちゃったんだけど、どこを食べればいいの?」と、笑わせてくれたことがありました。夫は、種のぷつぷつが嫌いで、母は、独特の香りが嫌いで食べません。
Keikoが、リリコイを売っているおじさんに、「どうやって食べますか?」と聞いたら、「風味付けに、ナンプラー(しょっつる)を垂らして食べる」といったと、びっくりしていました。果物に、ナンプラー?私も驚きました。
【今日の紘右】(←久しぶりに復活)
2日目も喜んで行く。自由時間に、乗り物の絵本を見ようと本を持って椅子に座ったとたん、小さな女の子にその本を奪われる。走っていく女の子を追っかけていったのかと思ったら、女の子を追い越し、棚に置いてある別のおもちゃで遊び始める。失敗したとき気を紛らわせる猫みたい。大人の中だけにいると、意味もなく物を取られるという理不尽な経験もしないので、いい経験をしているなあと思う。
2002年8月14日(水) 晴れ
2歳7ヶ月になる紘右が、プレスクールに行き始めました。今日は初日なので、2時間だけ。明日は3時間。月曜は4時間と、数日、親が一緒について行き、滞在時間が長くなって行きます。水曜からは、一人で8時〜2時まで行くことになります。今まで日本語だけだった紘右が、当然英語の世界に放り込まれてどうなることでしょう。しかし今日も、「もっとミルク〜」といって、ちゃんと牛乳をもらっていたし、何とかやっていけるかな。取りあえず一回も泣かず、「また学校行く」といっていたので一安心。
さて、紘右が行くのは私立幼稚園なのですが、「これだけ用意してください」と渡されたリストを見て驚きました。全部書くと、日記一週間分くらいになるのでかいつまんで書くと、制服、お昼寝マット、歯ブラシ、バインダーなど、個人用に揃えなくてはいけないものが25品目。ペーパータオル、石けん、金魚の餌、食用着色料など、公共用に揃える物が、18品目。そしてこれらには、アニメキャラクターが付いていてはいけなくて、全部に名前を付けなくてはなりませんでした。週末2日くらいこれで潰れました。毎回、学期の始めにこんな用意があるとしたら、キンダー(義務教育)からは、公立にしようかと思ってしまいます。学校で揃えて欲しい〜。
2002年8月13日(火) 雨
一日しとしと雨で、すごい湿度でした。午後にお茶をしに来たKeikoに、「今日の湿度ひどくない?」というと、「先週日本から帰ってきた私は、こんなの全然平気。日本はさらに、むしむししてるんだから」ということでした。これよりひどい湿度だなんて、最近の日本の夏は想像を絶します。
2002年8月12日(月) 雨
2週続けて週末出勤した夫が、今日は休みを取っていました。突然、「ワイメアに夕食を食べに行こう!メリマンズに行こう」といいだしました。車で1時間ちょっと掛けて夕食を食べに行くなんて、この島では考えがたいことなのですが、「ヒロの美味しいレストランでいいよ」といってみたものの、美味しさ、雰囲気、値段、ヒロのレストランではメリマンズの足下にも及びません。結局、夕食を食べるためだけにワイメアに行きました。
予約の電話をしたら、月曜日だというのにいっぱい。キャンセルが出て、6時過ぎには席に着けました。紘右は、シーフードパスタ。夫は、タイ風オナガ(魚)、私は、アヒ(マグロ)のタタキ。前菜のカモのフルーツソースも、デザートのチョコレートケーキも、絶品でした。途中、フィル・コリンズにそっくりのメリマンさん本人が挨拶に来て、有名人に会えた気分でした。お値段は全部で140ドル。ワインを飲んだ夫は車の運転もできず、私が1時間半掛けて運転してヒロに戻りましたが、さすがに眠くてしんどかったです。しかし、行く甲斐があるなあ、メリマンズ!
2002年8月11日(日) 晴れのち雨
掲示板によく書き込みをしてくれるみきこがご主人と2人で一日だけヒロに遊びに来てくれました。もちろんみんなで火山見学へ行きました。今日の朝刊も、海に流れ落ちる溶岩が一面トップだったので、これは大挙して観光客が押し寄せているだろうと思ったら、案の定、駐車場がないくらいたくさんの人たちが来ていました。
残念ながら、海に落ちるところは見られず、今日は溶岩の上を30分ほど歩いて、流れているところを見に行きました。最近、流れたという溶岩の上を歩いたのですが、足下から熱気があがってきます。試しに夫が溶岩に触ってみたら、「熱い!」と飛び上がっていました。つまり中はまだ熱い溶岩が流れてる溶岩の上を歩いていたのです。
さらに、流れている溶岩が見える直前のところまで来ると、一応、黒く固まってはいるけれど、表面の物質はまだパキッとかいいながら弾けている、まさに出来たてほやほやの溶岩の上に立つことになりました。止まっていると靴の中が熱くなってくるので、立っている場所をこまめに移動しました。日本なら、こんなところへ入場許可してくれないことでしょう。すごい体験をしていると思いました。−こんな風に書くと、いつも無茶しているように思われて注意のメールなどいただきますが、決して危険なことはしていませんからご安心ください(→ね、お母さん、おいちゃん)。
初めて火山に来て、こんな溶岩を見られたみきこたちは、強運な人たちです。しかし車に戻ろうと歩いている途中大雨になり、びしょびしょになってしまったのは不運だったかも(?)。本日のビデオ映像も、近日中にアップする予定(は未定)。
2002年8月10日(土) コナは晴れ
先日、朝5時半にヒロを出るヘレオン・バスに乗ろうとして、乗れなかったことがありました。今日こそ、夫と紘右をヘレオン・バスに乗せようと、朝4時半に起きました。5:30と5:15発があり、早めに行けばどちらかには乗れるだろうと、5時にバス停に向かいました。すると、もうヘレオン・バスが止まり、人々が乗り込んでいます。それも、バスの中で睡眠の続きを取るつもりらしく、枕や毛布を抱えて。夫と息子も慌ててバスに乗り込みました。すると5:05に、発車してしまいました。時刻表より10分も早く出るなんて、心配を裏切らないヘレオン・バス。
それからワイメアに向かうヘレオン・バスの後を、私もずっと走りました。ワイメアでバスを降りてきた2人と合流し、朝食を食べ、スペンサー・ビーチに着いたら、まだ7時でした。それでもすでに泳いでる人たちがいて、私たちも朝日差し込む海で泳ぎました。相当遊んで時計をみると、まだ9時半。それから12時過ぎまで海で遊びました。
そして、コナの町に移動し、昼食を食べ、コスコとKマートで買い物し、家に戻ってきたら夜の8時でした。今日は15時間も遊んでしまいました。
2002年8月9日(金) 雨
オレンジ色に熟れた甘い甘いパパイヤと、酸味のあるアップル・バナナを切って一緒に食べたら、お互いの味を引き立てあい、「こんな美味しい取り合わせがあったか!」と、感激でした。しばらくこれにはまりそうです。
2002年8月8日(木) 小雨
Keiko夫妻が元気でヒロに戻ってきました。庭の木を見て、「・・・隣のお土産、止めようかな」と、冗談でいっていましたが、「ま、ハワイだからすぐ伸びるよ。うちの木から落ちる葉をいつも掃除してたからね。それで切りたかったんだと思う」と、あっけらかんといっていました。
今度の日曜日は、掲示板でお馴染みのみきこ夫妻と火山見学に行く予定です。嬉しいな。さて、前には書きませんでしたが、溶岩を見に行って驚いたことのひとつに、夜、懐中電灯で足下を照らしながら歩いていると、やたらゴキブリが出没することです。
Keikoと、「何でこんな新しい溶岩のところにゴキブリがいるの?食べる物なんてないだろうに」。「きっと、『できたての溶岩はうまいぜ。ガリガリ』ってやってんじゃないの」、と冗談をいいあっていましたが、実はムカデもたくさんいるそうです。うっかり草むらに座ると刺され、アレルギーの人は大変なことになるそうです。新聞の記事によると、山にき散らばって住んでいたそれらの虫たちが、亀くらいの速度でじわじわ移動する溶岩に追われ、観光客が集まる海岸付近に結集してしまったのだそうです。今、海岸付近は昆虫密度が高くなっています。気を付けましょう。
2002年8月7日(水) 晴れ
うちから車で5分くらいのところに、コズミックコーンという、ローカルな食べ物を売っている店があります。お持ち帰りが主ですが、室内には10テーブルくらいあり一応座って食べられるところです。以前、ここに書きましたが、元々はデーリークイーンでしたが、勝手にBENTOなど作って売っていっていたら、デーリークイーンの名前を剥奪されたところです。
最近、赤い屋根のこの店に、突然、正方形の部屋(ちょうど、四畳半くらい)が建て増しされました。流行っているから席を増やしたにしては、小さすぎるし、そこだけ青い屋根なので、取って付けたように実に可笑しいのです。オーナーは母の知り合いの日系人なので、どうしたのか聞いてみました。すると、
「障害者用トイレがないから訴えられそうになって。そして決まった期日までに仕上げなければなならなくて、大工も材料も選べなかった」ということでした。そんなことでも訴えられてしまう、ここは訴訟国、アメリカなのですね。
2002年8月6日(火) 晴れ
木曜に、日本に行っているKeikoとご主人が戻ってきます。鍵を預かっていたので家の換気に行ってきました。家に着くと、駐車スペースにトラックが止まり、入り口辺りの木が、丸裸に切られています。「この家の庭師は、ご主人なのに、なぜ植木屋が入っているの???」と、不思議がっていると、隣の奥様が室内犬を抱えてやってきて、「宅の植木屋に切らせました。こちらの奥様も切ってほしいといっていらしたので」と、にこにこ話しにきました。思いっきりバッサリで、こだわり屋のこの家の植木屋さん(ご主人のこと)、お気に召すかしら?
中に入ると、さすが100坪の家屋。蒸れることもなく室内はひんやりしています。窓や扉を開けている間に庭を見回ると、Keikoご自慢のホワイトパイナップルが3つも熟れていました。出発前に、「本当は冷蔵庫に入れとこうと思ってたのよ!」と、熟れたパイナップルを惜しそうに2つくれたので、また持って返ったら恨まれそうです。虫が付き始めている一個だけ取り、よく洗って冷蔵庫に放り込んでおきました。落っこちてしわしわになっていたパッションフルーツは、もらっちゃいました。青々と茂るバジルやニラも、Keikoたちの帰りを待っています。この家は本当に、野菜と果物の宝庫です。
広いテラスに吊されているハンギングバスケットの中のイチゴは、水が切れてひん死状態でした。イチゴ好きのKeikoが、「テラスで食事をした後、このイチゴを食べるのが夢」といっていたので、生き返るようにたっぷりお水をあげておきました。お留守番を頼まれるのが楽しくなる、素敵なドリームハウスです
2002年8月5日(月) 晴れ
昨日のパーティーで、日米の感覚の違いを思わされることがありました。招待されていたのは、約50名。そのうち日本人は、すばる関係者の4組だけだったのですが、一組の年配の夫婦を覗き、他の3家族は、それぞれ子供を連れてきていました。日系人会の人からは、「能丸ご夫妻もパーティーに出席してください。ただし大人のパーティーなのでお子さんは預けてきてください」といわれ、その晩は、友人にベビーシッターをお願いしていました。が、夫が船長さんに、「いえ、是非、お子さんを連れてきてください。船も見せたいし、とっておきの日本食とジュースもありますから」といわれ、急遽、紘右も連れて行きました。
しかしもちろん、わからんちんの2歳半ですから、ロープを乗り越えたり、テーブルの食べ物に触ったり、ずっと監視していなくてはなりませんでした。近づいてきた日系人の女性が、「私にも2歳の息子がいます。でも連れてくると、私がくつろげないから預けてきました」と、いわれました。もっともだと思いました。
ベビーシッターをお願いしていた、アメリカ人と結婚したChizukoにその話をすると(彼女にも2歳の男の子がいる)、「そうよ。アメリカ人は、大人の時間は大人だけで楽しむと考えているからね。夫の両親が、『今度旅行に行くときは、子供は私たちに預けて、2人で行きなさい』っていってる。アメリカ人は、結構5歳くらいまで、子供を預けてスキーに行ったりするのよ。記憶にも残らないし、子供も親も疲れるからね」と、教えてくれました。
日本人は、パーティーなら考えられますが、旅行に子供を置いていくという感覚はないと思います。我が家でも、「紘右を預けて、2人で旅行に行行きたい?」と話題になりましたが、やはりそういう気にはなれませんでした。返って、子供が大きくなったら、親との旅行なんていやがるのかもしれませんが。6年、ハワイに住んでいても、アメリカナイズされていない自分を感じました。
2002年8月4日(日) 雨
午前中、夫が日本丸の船長さんたちを山頂にご案内したので、夕方6時から船上である立食パーティーに招かれました。たくさんの日系人の方や、すばる関係者も一部、招待されていました。
船の上というのは食べることが一番の楽しみで、約20人のコックさんが乗船し、実に美味しい料理を作ってくれるそうです。そして今回は、前もってFAXで地元のスーパーに仕入れる物を予約して、このパーティーのため腕によりを掛けて日本食を作ってくださったそうです。その他、日本から持ってきた食材もたくさんあり、私たちヒロリアンには、涙が出そうに美味しいものもありました。結構、日系人の人の好むものと、日本人の好むのもは違い、ウニ、キャビアなどは最後まで残っていて、終わり近くにそれらを見つけ、食べてたのは私です(もちろん食べ尽くせませんでしたが)。
そして、いろいろ説明を受けながら、順番に船内を案内していただきました。初代日本丸は、日本に帆船を作る技術がなくイギリス製でしたが、この2代目日本丸は、最初の船から技術を学んで国産で作ったそうです。約100億円だったそうです(でも、技術提供などあり、約70億円でできたとか)。床のチーク材は厚さ10cmもあり、毎日、椰子の実でゴシゴシ擦るそうです。一万円札の大きさが、ちょうど一万円くらいするそうです。帆を張るのは本当に大変で、カナダからハワイまでは帆を張って来ましたが、この後、日本に帰るのはエンジンだそうで、「とても楽になります」といっていました。
紘右を連れていると、「お子さん、おいくつですか?」と、何人かの乗員が声を掛けてきました。そう聞く人には、だいたい同じ年の頃のお子さんがいて、「今、1歳ですが、もう3ヶ月も会っていません。忘れられちゃいました」と、少し寂しそうにいいます。一人の人に質問すると、この航海が終わったら10日ほど家にいて、次の航海に出発するとか。そして乗船中は、土日祝日もなしなので、その分の振り替えで一年に一回は、まとまった休みを取るそうです。自分は本当は家でのんびりしていたいのだけど、留守番をさせた家族のことを考えると、やっぱり海外旅行などに連れて行くそうです。お父さん、がんばれ。
2002年8月3日(土) 晴れ
日本の子供用ビデオの中に、小さな男の子が一人でトマトを買いに行くという話があります。紘右にも、初めて一人で新聞を取りにいかせてみようと思い、「新聞、取ってきてくれる?」というと、自分でそこにあった長靴を履き、新聞入れの方に歩いてきました。2歳半になると、それくらいできるんだと感激しながら、陰からこっそり見ていると、門のところまでトコトコと歩いていき新聞受けに手を入れています。偉い、紘右!
と、そこへ一台の車がやってきて止まり、クラクションを高らかに鳴らします。「マミー、マミー、大変、子供が一人でいるわ!早く来て」と窓から叫んでいます。すぐに行き、「ありがとう」というと、「どういたしまして。これくらいの子なら、いい聞かせれば一人で新聞を取りにいってはいけないってわかるわ」といわれました。そっか・・・アメリカでは、一人で新聞を取りに行くのもダメなのね。
たぶんアメリカ人に、子供が一人で買い物に行くビデオなんて見せたら、「こんなことしたら誘拐されるじゃない!」と、呆れるに違いありません。それに小さな子供だけ車に残していなくなったら親は逮捕されます。中学生の男の子をもっている友人は、「一人でトイレに行かせたら危険」といって、お母さんが男子トイレの入り口で見張っているといっていました。子供を車に残してゲームセンターに行ってしまう日本と、家の庭でさえ子供を一人にさせられないアメリカと、どちらが狂っているのでしょうか?
2002年8月2日(金) 晴れ
約20年ぶりに、日本が世界に誇る帆船、日本丸がヒロ港に寄港しました。夕方5時半から、日系人会主催の大歓迎会がありました。最近、家族年会費30ドルで、日系人会に入った我が家には参加要請の手紙が来ていたので、3人でパーティーに出席しました。大人1人10ドルでした。
広い会場には、長いテーブルがいくつもあり、日本丸の乗組員(殆どが大学生。約170人)と、ヒロの人が混ざって座るようになっています。これまで毎年、銀河丸という高校生が乗っている船の歓迎会には出席してきましたが、今時の高校生とはなかなか楽しい会話はできませんでした。ところが今回は、前に座った大学生たちはみんな好青年で、話もとても弾みました。
席に座ってしばらくすると、夫のところに、日系人会の幹部の方が来て、「日本丸の船長さんたちが、是非すばる望遠鏡を視察したいといっている。日曜日に山頂に連れて行ってもらえないか」と、頼まれました。日曜日の午前中は、日本丸の一般公開で、3人で見学に行く約束だったのに・・・と内心がっかりしていると、船長さんの方から、午前中に望遠鏡を見学させてもらうのだから、山から降りてきてから船を案内します。夜は、船内のディーナーに、ご招待したいといわれました。何という幸せ!
高校生のときから日本丸をこよなく愛し、今回、日本丸がヒロに来ることがわかっていたら、日本行きも取りやめたのにと悔やんでいたKeikoさん。船の写真を撮っておくようにと依頼されましたが、こんな幸運に恵まれました。Keikoもいたら一緒に行けたのに、ハワイに飛んで帰ってくる?
さて、歓迎パーティーは、乗組員の大合唱(やはり、「上を向いて歩こう」がよかった)や、地元の子供たちのフラ、タヒチアンダンスなどで大いに盛り上がり、とても楽しい夜となりました。紘右も、格好いい制服を着たお兄さんたちに可愛がってもらい、上機嫌でした。こういう温かい交流が、日本とアメリカの親善に繋がっていくことを実感しました。
2002年8月1日(木) 晴れ
8月の中旬から、紘右はプレスクール(保育園)に行く予定です。3年ぶりに自分の時間が持てる私も、何かの学校に行こうと、とにかく思い立ったらまずは結核検査ということで、TBテストに行きました。ハワイ生活二年生の、「Shall
we dance?」に詳しく書いてありますが、ハワイでは、公共の場に出入りするときは、必ず結核にかかっていないという証明がいるのです。日本人は、子供のときに結核の予防注射を受けているため、この検査をすると、陽性反応が出てしまうのです。そのためさらに病院に行って肺のX線も撮らなくてはなりません。
月曜日、ツベルクリン注射をしてきました。木曜日、注射の跡を検査してもらう日です。アメリカ人たちは、全く何ともなっていません。私は、2cm近く真っ赤に晴れ上り、膨れて堅くなっています。即刻、X線検査をするよういわれてしまいました。これが時間がかかるのですよ、面倒くさい。
ついこの間、サマーセミナーがあるため、やはりTBテストを受けたKeikoは、日本人のくせに陰性反応で、その場で「結核ではありません」という証明書を発行してもらったとか。小さいころ税金で予防注射を受けたはずなのに、抗体がなくなっているなんて、お金の無駄遣いだ(Keikoは、「年を取ると予防注射の効果が消えるのよ」といっていましたから、つまり私はまだ若いってことねえ)。
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