2008年6月01日(日)〜7月29日(火) 【日本滞在】
この夏も日本で、多くの方たちに大変お世話になり、心から感謝しています。
どうもありがとうございました。
夫の母は健在で福岡にいてくれますが、今回は訪ねることはできませんでした。
私は一人っ子で、両親はすでに亡くなり、東京の東久留米市に家だけはありますが、
ここに滞在中、紘右と二人だったので、
友人・知人に支えてもらい、
この2ヶ月を乗り切ることができたと思っています。
96年にハワイに移って以来、”暮らす”というくらい、
日本に長く滞在したのは初めてことでした。
12年ぶりに暮らす日本で私は、
時間の感覚、気配りなど、
日本人としての大事な心を忘れてしまったような不安にも陥りました。
気か付かないうち、私が失礼をしてしまったことがあったと思います。
この場を借り、お詫び申し上げます。
日本復帰に、ちょっとだけ自信をなくしてしまった私です。
この2ヶ月、
笑点日記に書ききれないくらいたくさんの経験をし、
出逢った方たちにも、まだ十分にお礼が伝えられていませんが、
まずは元気で過ごしたご報告を、駆け足ですが記しました。
あと、耳にはしていましたが、7月になると30度を超える暑さが続き、
夜になっても温度が下がらないということを、身をもって体験しました。
ハワイでは味わったことのない暑さでした。熱中症にもなりかけました。
でもおかげさまで、紘右も私も健康で過ごせました。
8月は、もっと暑い日があることと思います。
みなさま、どうぞご自愛ください。
申し訳ないくらい涼しいヒロにて 千秋
【日本の小学校編】
紘右の体験入学を受け入れてくださったのは、私の母校である自由学園の小学校、
初等部でした。
紘右は、2000年1月生まれで、ハワイだとこの8月から3年生ですが、
日本では、早生まれになり、今年の4月から3年生です。
日本語の読み書きがあまりできず、一学年落として入れてもらえないか聞きましたが、
授業についていけないのは同じだから気にしないでくださいと、、
正しい学年である3年生に体験入学をさせていただきました。
初等部は、東京の実家から徒歩5分という近さです。
ハワイだと、親が毎日車で学校に送り迎えをしなくてはなりませんが、
日本では毎朝元気よく、「行ってきま〜す」と1人で出かけていきました。
そんなことにも感動してしまいました。
そして午後2時過ぎには学校から戻り、「遊びに行ってきま〜す」と、
また1人で自転車に乗り出かけて行き、それにも感動しました。
ハワイだと、友達の家に行くときも、やはり親が車で連れていかなくてはなりません。
日本はなんていいところでしょう!
初等部は、普段は私服。特別な日だけ制服です。
夏の
制服は、ピケ帽、白シャツ、紺のズボン、白靴下です。
息子が、懐かしい母校の制服姿をしていることにも感激。
紘右と過ごす日本の生活は初めてのことばかりで、
日々新鮮な驚きに満ちていました。

ある日、学校から戻ってきた紘右が、こんなことを言い出しました。
(K)「僕、学校でキモイって言われるんだけど、それってどういう意味?」
(C)「・・・・・他の人とちょっと違ってて、それがいやな感じがするという意味かな・・・・・」
(K)「そうかな、僕ねキモイって”人気者”っていう意味だと思うの」
(C)「えっ? あ・ちょっと発音は似てるかもね。
でもいい意味では使わないの。どういうときに言われた?」
私は内心、『いじめの始まり?担任の先生に相談すべき?』と、暗い気持ちになりかけていると・・・
(K)「僕がね、男の子たちにキスしようとして追いかけると、笑いながらみんなそう言うの!」
(C)「うっ・紘右・・・キスの習慣は日本でないから、それ絶対に止めなさい」
みんなが楽しそうに言う『キモイ』は問題なく、
紘右の行動に問題ありでした!
*
2人で、毎日2時間くらいかけてやった宿題(日記と漢字の練習、九九など)も、
日々は大変でしたが、今となれば紘右の力になりました。
この夏、紘右が書き残した日記は、私の一生の宝物です。
[紘右の日記 最後の日から]
七月十七日 木曜日
ぼくは しょとうぶにいって たのしいことがいっぱいありました。
一ばんは たいいくが楽しかったです。
二ばんは びじゅつがたのしかったです。
三ばんは 畑ではたらくでした。
ぼくは しょとうぶのことをぜったいにわすれません。
ともだちもわすれません。
ぼくは初等部はいいがっこうと おもいます。
三はしせんせいも おもいます。
さとうせんせいも わすれません。
ありがとう。
三はしせんせいと さとうせんせい、ぼくもがんばっていきます。
【日本的なもの編】
ハワイの小学校が夏休みになってすぐ日本に来て、体験入学をした紘右。
7月18日からは夫も休暇を取って日本に来てくれました。
紘右の夏休みは実質、7/18〜7/29の10日間だけでした。
なので、
できるだけ毎週末に、いろんなところに連れて行きたいと思っていました。
とくに、「日本的なもの」に触れる経験をさせたいと考えていました。
鎌倉にお住まいのKSさんご夫妻を訪ね、鎌倉に行きました。
しかし、この日の人の多いこと!あじさい寺は、240分待ちで諦めました。

鎌倉の大仏様。
なんと品のいいお顔立ちでしょう。
[紘右の日記から]
六月十七日 火曜日
ぼくは、土曜日におかあさんと、かまくらに行きました。
大きな大仏様とかん音様がいました。
十一個の顔を持ったかん音様も見ました。
かまくらにまた行きたいと思います。
鎌倉に行ったとき、「奈良にはもっと大きな大仏様があるよ」と話したら、
紘右はとても興味を持ちました。
そこで夫が帰国してから、夫と紘右で奈良にも行きました。
鎌倉の大仏様は雨ざらしですが、奈良の大仏様は建物の中です。
この巨大な大仏殿の一本の柱には、大仏様の鼻の穴と同じ大きさの穴があり、
この穴を通ると、健康で長生きするといわれています。
紘右は、そこをちゃんと通ってきました。

奈良の大仏様。

後日東京で、「どんな大仏様だったか描いてみて」と紘右にリクエストしました。
だったらマミーも描いてよということで、2人で描き比べをしました。
私の描いた方(右)の方が、ずっと怪しげで、メタボになってしまいました。

そして、奈良と言えば「鹿」。
不況の影響か「鹿せんべい」を購入する観光客が少なく、
紘右が買ったのを見ていた鹿が、どんどん集まってきて大喜び。

2人は、姫路にも足を伸ばし、国宝「姫路城」も観て来ました。

アニメ「ぜんまいざむらい」が好きな紘右は、
「あ、見栄城だ!」と言ったそうです(このアニメを観てる人だけわかる笑い)。

お城って、こんなに美しいものだったのですね。
日本の伝統美に見入ってしまいます。

もちろんお城の中は、土足厳禁。

ある日、電車の乗り換えのとき、不思議な音を聞きつけた紘右は、
それが何なのかどうしても確かめたいと言い出し、地上に出ました。
生まれて初めて「チンドン屋さん」に出会い、またもや喜ぶ。

【かわいいもの編】
東京の実家の前の道路です。向こうからヨチヨチと歩いてくる小さな集団が・・・?

カルガモの親子でした。こんな住宅地の中を一体どちらに?

人間はいっさい無視で通り過ぎて行ってしまいました。
この道のず〜っと先に小さな川があり、そちらに向かっているのでしょうか。
お母さんは大変です。

高速道路の休憩所にいたツバメたち。もうすぐ巣立ちですね。

初等部の3年生が飼育しているウサギ。
紘右は毎日、ウサギがかわいくてかわいくて仕方なかったようです。

[紘右の日記から]
六月十一日 水よう日
今日は、うさぎにあたらしいエサをあげました。
うさぎが、僕があげたエサをいっぱいたべました。
うさぎは、わたがしみたいにやらかかったです。
友人宅の美猫ムウちゃん。瞳がグリーンです。
性格が気まぐれで、そこがまたかわいい。

【食べ物編】
夫が帰国し、紘右をみてもらえるようになり、
初めてゆっくりした気持ちで友達と、ミッシュランに載ってるレストランに食事に行きました。
1ヶ月前に、電話で予約を入れてくれたお店です。
駒場東大前駅のそばにある、レストラン「ミラヴィル」。
おいしくて、とても雰囲気がよかったです。
昼間なのに、突然店内が薄暗くなり、♪ハッピ〜・バ〜スデ〜♪の音楽が流れ始め、
「あ、だれかのお誕生日?」と言ったら、そのケーキは私の前に運ばれてきました。
周りのテーブルに居合わせた方たちからも拍手で祝福され、びっくりしてしまいました。
目の前に座っている、まさえさんが、
「笑点日記に、出発直前で、自分の誕生日も忘れていたと書いてあったから、
東京でお祝いしようって思っていたの。遅くなったけど、お誕生日おめでとう!」
−と、ニッコリ。
まさえさんの優しい笑顔が涙でかすんでしまいました。
サプライズのお誕生日、驚きました。
どうもありがとうございました!

こんな風にいつも周りの人を幸せで包み込む
まさえさんのような女性に、私もなりたいです。
栃木県の足利に住んでいる仲良しのS夫妻の家にも泊まりに行きました。
夜には、紘右、初カラオケ。相当気に入ったようで、英語の歌を歌っていました。
「スパイスガールズ」「O−zone」を歌う、なぞの小学3年生。
足利のココ・ファーム・ワイナリーにも連れて行ってもらいました。
野菜も全て農場で作られたものです。すべてがおいしかった。
とくに、「農民ロッソ」という赤ワインは絶品でした。

「いやー、ワインはやっぱり赤に限るね〜」と語る紘右
(本当は、赤ぶどうジュース)。

「さくらんぼ狩り」も母子共々初体験でした。
高級「さとうにしき」を一生分食べたと思います。
「今晩は
夕食もいらないし、もう人生分のさくらんぼを食べた!」
−と豪語した私でしたが、
その後、夕食も食べ、さくらんぼも食べています。

[紘右の日記から]
七月七日 月曜日
昨日は、さくらんぼを取って食べました。
さくらんぼは とてもおいしかったです。
ぼくは、はしごに登って高いさくらんぼを取りました。
高い所にあるさくらんぼが もっとおいしいと思ったからです。
【楽しい体験編】
夙川に住むお友達が馬を所有していらして、そこの乗馬クラブで、
紘右は乗馬体験をさせてもらいました。
優しくて賢い「ちゃたろう」です。
最初にブラッシングしてご挨拶。

友達のおかげで長時間乗せてもらえ、紘右も乗馬を思いっきり楽しみました。
馬の、首とお尻にタッチしながら乗る練習。

こちらがお友達の馬です。
毛並みが艶々でまるでビロードのよう。
瞳も優しげで、
馬ってこんなに美しいのですね。

えへえへ・そうですか〜!

紘右は、虫もめすらしがっていました。
ハワイにセミはいなくて、セミの鳴く季節に日本にいるのも初めてで、
アブラゼミ、クマゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシの鳴き声を聞きました。
セミの抜け殻は、今、紘右の宝物です。

実はディルに、キアゲハの幼虫がいます。
表情が不安げ。

毛虫はだめだけどこれは持てるよと、私が手に取ってみせると
(心臓が止まりそうでしたが、息子のためにがんばりました)、
紘右も生まれて初めて、アゲハチョウの幼虫を手に持ちました。
←虫嫌いの方はクリックしないでくださいね。
[紘右の日記から]
七月十三日 日曜日
今日は、お母さんと足かが市のワイナリーに行きました。
そこにきあげはちょうのよう虫がいました。
よう虫は気持ち悪かったです。
やっぱり行こうよ、ディズニーランド!
−ということになり、友達と4人で、梅雨の晴れ間に行ってきました。
しかしこの土曜、梅雨入りして初めて晴れた土曜だった上、
千葉県民に配られていた割引券の使える最終日とも重なり、
人出がいつもの土曜の2倍だったそうです。
私の予想ではお客さんは12万人いたと思います。
ヒロの人口の3倍。

しかし、混んでても楽しめるのがディズニーランド。
写真に写っているダムに、「おまえ、痩せたなー!」と、ゼスチャーでいわれました。
このダムったら、きっと20年前に来たときの私のことを覚えているのね。
その通り、痩せましたよ。
「君はメタボだね」と、お腹を指さしたら憤慨していました。

昼のパレードは、混んでいたけれど、がんばっていい場所で見ました。
このブレアー・フォックスは、私に向かって手を振ってくれていると
私は信じたい!

バズも、ハワイから来た私たちを感じて、ハングルースしてくれてると思いたい!

あっちゃんと紘右。このミッキーの前で写真を撮ると結ばれるといわれ、
お似合いのカップルが誕生です!

夜のエレクトリック・パレードも、25周年記念で豪華絢爛でした。

夢の世界で過ごした一日でした。
最後まで笑顔で、まさえさん・紘右・あっちゃん。

[紘右の日記から]
六月三十日 月曜日
一昨日、ぼくはディズニーランドに行きました。
さいしょは、カリブの海ぞくに乗りました。
さいごは、ビッグサンダーマウンテンに乗りました。
人がたくさんいたので、ほとんど乗り物に乗れませんでした。
ポップコーンを買うのに一時間もかかりました。
神奈川県藤野にある「レストラン・Shu」で、UA(うあ)さんの臨月ライブコンサートがありました。
UAさんは、歌うために産まれてきたような人で、すごい歌唱力でした。
8月には、元気な赤ちゃんが誕生しますように!

Shuの料理に使う野菜や、飾ってある花は、裏に広がる畑で作られたものです。
花は生き生きしていて、野菜は新鮮で
濃い味がしました。

レストランShuにて、
この夏、唯一家族3人で写した写真です。
私、12年ぶりの日本の暑さに負け、髪の毛を切りました。
ディズニーランドでは長いままですが、その後、美容師さんの反対を押し切り、
バッサリとカットしてもらいました。頭が軽くなって楽ちんになりました。

Shuにあるハンモックは、紘右のお気に入りです。
ブランコにしたり、くるまったり、いつまでもハンモックで遊んでいます。
捕獲されたジュゴン風。

網入りロースト・ポーク風。

こちら、理容店でカットしてもらった紘右。
ハワイだと、床屋でバリカンですが、
ハサミでカットしてもらうのは初めてで、「気持ちいい!」と喜んでいました。
”女の子にモテる風”カットだそうです。

【乗り物編】
ハワイに電車はないのに、紘右はしっかり「鉄道好き」に育ちました。
本人によると、脳の一部は、”乗り物”で占められているそうです。
そんなてっちゃん紘右が、日本に行ったときの喜びはひとしおです。
電車に乗るときは、いつも運転席にかぶりつき。
大人のてっちゃんと、場所取り合戦になることがあります。

さいたま市に鉄道博物館ができたことも、いつの間にか知っています。
行ってみたら、夏休み前の平日なのに混んでいました。
入り口が改札のようになっていました。

年配の方が、実際に乗っていた電車が展示されているのを懐かしがり、
会話が弾んでいらっしゃるのが印象的でした。

鉄道博物館のジオラマもすばらしかったけど、
こちら、小平にあるガス館(うちから自転車で行ける)にあった
キャラメルのおまけサイズの小物で作られた「昭和の家」。
よくできています!

熊谷〜秩父間を走っている蒸気機関車にも乗りました。

乗ったら楽しみなのは、駅弁。
心配になるくらいお客様が少なく、お弁当を食べながら大いにくつろぐ。



蒸気機関車は、事前事後整備に余念がありません。
途中も、何回が車輪に油を差していました。

紘右は、下車したあと、踏切から「指差呼称」。
うちの近所の公園でも、横を過する電車に指示を出していたそうです

大阪から九州間は、今、O系が走っています。
最近の新幹線より、顔立ちが美形ですね。

【建築編】
私は自分が建築家になりたかったくらい、建築物に関心があります。
いい建物にいると、心が安らぎます。
夙川に住む友人のYukoさんは、叔父様である建築家石井修氏
が
設計した家に住んでいます。
安藤忠雄の先生でもあった偉大な建築家です。
ここに泊まらせていただけた私たちは幸せでした。
夜、大阪の明かりが窓から見えて、どこのレストランより素敵な夕食をいただきました。

広々とし居心地のいいリビング。
「レトリバー」という雑誌にも載ったことがある、愛犬のジェニファー。
ジェニファーは野菜が大好きな、美しい毛並みのレトリバーです。
自然と一体化することを目指した石井氏が好んだ芝生の屋根。

手で押す芝刈り機が面白い紘右。
朝、目が覚めると、「さ、芝刈りしてこようかな!」と
いそいそ外へ。

今回、東京でよく訪れたのが、目白にある自由学園の建物で、
フランク・ロイド・ライト氏が設計した明日館(みょうにちかん)でした。
私が自由学園工芸研究所で勉強していたころにいた場所で、
ここを訪ねると、今も心が落ち着きます。
多くの方に紹介したい場所であり、自分でもいつも行きたいと思っているので、
明日館には何回も足を運びました。
tutuさんやDozeさんのホームページに、きれいな写真入りで紹介されています。

この夏は図らずも、安藤忠雄氏設計の建物を3つ見ました。
まず原宿にある「表参道ヒルズ」。
ここは建物の通路がスロープ状になっていて、
上からゆっくりショップを見て歩いていると、疲れることなく全て見終われます。
原宿の景観をそこなわないよう、低い建物にしたところも好みです。

次は、東京大学の本郷キャンパス内に作られた「福武ホール」。
ここも安藤忠雄氏の設計です。コンクリートで作られた長い「考える壁」があります。
そこにある「UTカフェ」は、一般の人も利用できる学食ですが、
学食と呼ぶのは失礼なくらい、おしゃれでおいしい料理が出てくるカフェです。
今どき、だれでも入れるようにキャンパスを開放しているのは、
東大だけではないでしょうか。ここでのランチ、お薦めです。
キャンパスを、
いろいろな人が楽しそうにお散歩していました。
滞在中に開通した副都心線の渋谷駅。こちらも安藤忠雄氏の設計です。
宇宙船を地中に埋めたような設計になっています。
ホームの端から、まるで地下鉄が自分につっこんでくるかのように見える場所があり、
多くのてっちゃんたちといっしょに、1時間くらいそれを眺めていた紘右(も、立派なてっちゃん)。

東京上野にある国立西洋美術館。
こちらは、フランスのル・コルビュジェ氏の設計です。
コロー展をやっていてたので行きましたが、
コルビュジェの建物に見入ってしまいました。
ここでバッタリ、従兄弟夫婦に出会いました。
こんなことってあるのですね。
美術館の横には、コルビュジェ氏の弟子であった、
前川國男氏設計の東京文化会館があります。
昭和36年に建てられた古い建築物ですが(模様がレトロですね)、
音楽家たちから「奇跡の音」と賞賛され、すばらしい音響効果で世界的に有名です。
世界に誇れる日本建築のひとつだと思います。

今回、ここで上演されるアメリカン・バレー・シアターの「白鳥の湖」のチケットを、
ハワイから、清水の舞台から飛び降りるつもり(今回の滞在中、一番お金がかかった)で
購入していました。
−というのも、アンヘル・コレールという
男性バレーダンサーの踊りを一度観てみたかったからです。
ニューヨークに出向いても、彼が踊るかはわからないし、
私が
東京滞在中に来日するなんて、二度とないチャンスです。
で、
・・・もしかしたら、アンヘル様がロビーにいらして、
笑顔で写真が撮れて・・・キャーッ おしゃれしなくちゃ!
−と、この日のためだけに持ってきた正装。

・・・だったのに・・・だったのに、
アンヘル・コレール様、ケガのため来日中止!!!
ね、だれの行いが悪いの?だれ?だれ??
しかし、ジリアン・マーフィーが演じる、オデット姫の情緒的な美しい踊り、
代役だったハンサムなイーサン・スティーフェルのジークフリート王子
(実生活で2人は恋人同士なので、息が合ってる)、
一流のオーケストラメンバーによるチャイコフスキーの名曲の生演奏。
私たちはすっかり引き込まれました。
クライマックス、オデット姫が湖に飛び込み、命を落としたとたん
紘右がわっと泣き出しました。
オデット姫のあとを追い、ジークフリート王子も湖に飛び込むと、もう号泣。
その後、私が悪魔の踊りに拍手をすると、
「悪魔になんか拍手しちゃダメだ!」と、怒った紘右に手を押さえ込まれ、
最後まで「オデットが可哀想」と、涙ポロポロ状態でした。
電車に乗ってからも、思い出しては泣き出し、
「白鳥の湖、明日も観たいの」と、
こんな高いチケットを明日も買ったら、パパが泣きます。
【学んだこと編】
このことは、この2ヶ月の滞在の中で、一番重い経験になりました。
今、「学んだこと」と言えるのは、先方の方たちの広い心のおかげです。
ある日、いつものように学校から戻ってきた紘右が、
「僕、今日、休み時間に、ブランコに乗りたくて順番を待っていたの。
クラスの女の子が2人乗りしてて、「代わって」と言ったけど、
「まだ」って言われて、ずっと待ってたの。
4回「代わって」と言ったのに、代わってくれなくて、
もう休み時間が終わっちゃいそうで、どうしても乗りたくて、
2人乗りのあと、また同じ女の子が1人で乗り始めたから、
ブランコの鎖を持って、ブランコを止めたの。
そしたらブランコがぐりんぐりんってなって、
女の子がブランコから落ちて、骨を折って、
今、病院に行ってるの。ごめんなさい」
と、言います。
私は顔から血の気が引いていくのがわかりました。
紘右には、代わってもらえなくても、
手を出してしまった紘右が悪いということをいい聞かせ、
すぐ、担任の先生に電話を入れました。
まだ学校に、担任の先生がいらっしゃいました。
「紘右君本人が話せてよかったです。今、A子さんは、まだ病院にいます。
小指の骨が折れていました。他は大丈夫だったそうです。
こういうとき男の子のお母さんは、とにかく先方に謝るしかありません。
先方の電話番号を教えますから、お母さんは落ち着いて、
病院から戻られたころに、お詫びの電話をしてください。
それから、こんな話しをするとよけい辛くなるかもしれませんが
来週から始まるプールを楽しみにしていたのに、骨折した
A子さんは出られないことになってしまいました」
と、言われました。
体験入学で入れていただいている紘右が、
温かく迎えてくださったクラスメイトを骨折させてしまい、
受けるはずだった水泳の授業を休む?
もう、ハワイに帰ってくださいと言われても仕方ないこと。
いや言われる前に、帰るべきかもしれない。
大事なお嬢さんに、何てことをしてしまったのだろう・・・
私も涙が止めどなく流れました。
横で紘右も、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、泣いています。
夫は、フランスに出張中で、連絡が取れません。
A子さんの家に何回電話をしても、だれも出ません。
留守電にもなっていないのは、慌てて飛び出したからでしょうか。
複雑骨折で、病院からなかなか戻れないのかもしれません。
アメリカだったら、訴えられるような事件です。
しばらく紘右と2人で泣いていましたが、
FAXは送れることにようやく気がつき、
お詫びの文章を書きました。
そしてそれを送ろうと、もう1回番号を押すと、そのとき、
病院から帰っていらしたA子さんのお母様が出ていらっしゃいました。
動転しながらも、気を静め、
「能丸紘右の母です。このたびは紘右が、大切なお嬢様に
ケガさせるようなことをしてしまい本当に申し訳ありませんでした」と謝り、
怒鳴られることも覚悟しながら耳をすましたとき、
受話器の向こうからは穏やかなお母様の声がして、
「子供同士のことですから、どうぞ気になさらないでください。
うちの娘は強いところがあって、
譲れないときがあると思います。
A子に、『こんなことになる前に、どうするべきだった?』と聞いたら、
A子も、『2人乗りが終わったあと、能丸君に代わってあげるべきだった』と
言っていました。娘も悪かったのです」
私は、このような状況のときに、うちの子も悪いとおっしゃる
そんな器量の広い心の持ち主のお母様と、
怒られるかもしれないのに、親に正直に様子を話すお嬢さんに、
頭が下がる思いでした。
私はまだ涙が溢れてきて、さらにお詫びを伝え、
A子さんにも代わってもらい謝り、
最後は、直接紘右に謝らせました。
この日私は、涙が枯れるという経験をしました。
その後、A子さん、A子さんのご両親に会うことができました。
お詫びを申し上げると、「もう、どうぞ気になさらないでくださいね」と、
笑顔で言ってくださるばかりです。
私たちは、ひたすら反省することしかできなくて、
でも、私がここから学んだことは、
「紘右も言い訳しない子に育てること」と、
「いつか紘右が被害者になることがあっても、A子さんのご両親のように、
相手を許せる人になりたい」ということでした。
後日、偶然、A子さんの家族と知っているという方が教えてくれました。
「A子さんのご両親は、人生の辛苦を知っていらっしゃる方たちなの。
とってもいい方たちよ。実はね、上の男の子さんが亡くなられているの。
だからそんな風に、人を許すことができるのだと思う」
それを聞き、お子さんを亡くされたことがあるご両親が、
一人娘となったA子さんがケガしたと聞いたとき、
どんなにか心配されたことかと胸が締め付けられるようでした。
私は心から、A子さんのご家族を尊敬し、
私も、お二人のように、人の心の痛みを感じられる人になりたいと思います。
* * *
こんなこともあった体験入学でしたが、担任の先生が最後に、
「3年生のクラスは41人だけど、
42人目のクラスメイトがハワイにいて、
これから毎年、夏だけは、クラスが42人になりますね」と、言ってくださったそうです。
紘右も、「来年も初等部に行きたいの!」と、言っています。
私も、紘右といっしょに、次の夏も、またいろいろなことを勉強したいです。
自由学園で学べたことにも感謝はつきません。
*
2008年の夏、一生忘れられないものになりました。
帰る家を残してくれた亡き両親にも感謝しました。

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