99年3月

1999年3月31日(水) 晴れときどき雨
ヒロの怖さを知りました。私が一週間ほど前、ある日本人の友達さんに、「一度、ヒロの中で引っ越しでもしてみたら?」といって、彼らも「それもいいかもね」という会話をしました。そしたら今日、別の日本人の友達たちが、「今度、さん、引っ越ししなきゃいけないんですって?」「私も聞いた。日本に帰るのだと思った」といわれ、もうびっくり。話の発端を辿ったら、私が彼らに引っ越しを勧めたのが、回り回って尾鰭背鰭が付いただけだったのです。そんなにすぐに、こんなに大きくなっちゃって、なぜ?ヒロは狭すぎるぅ。これまた別の友人が、とある場所で鼻血ブーになっちゃったことも超極秘のだったはずなのに、いつのまにかヒロ中の人が知るところとなっている気配。彼女が歩くと、"NOSEBLEED BOOO"と人々が囁くらしいですから、本当に小さな街って恐いですね。

1999年3月30日(火) 晴れのち雨
海の方から、強くて少しひんやりとした風が吹いてくると、間違いなく雨が降り出します。私はこれを雨風と呼んでいます。東京ではあまり感じなかった風の微妙な変化を、ヒロではキャッチできます。雨はスコールなので、雨が降っている境目が移動してくるのがわかります。また、まるで神様が天からじょうろでそこだけに水を撒いているように、ある所だけ丸く雨が降っているのもよく見かけます。自分でいつも天候の変化を感じられるようにと、体の中のアンテナを自然に向けて開いていると、なんだか健康によくて、野性的になったみたいで気分がいいです。今日もスコールが来る直前に、家中の窓を閉めるのに成功しました。

1999年3月29日(月) 雨ときどき曇り
夕方に、近所の人たちのミーティングがありました。私たちの住んでいる地域はピーホヌアと呼ばれる古い住宅地です。今日の集まりは、ピーホヌアKUMIAI会議です。議題は、住宅地の側を通っているワイアヌエヌエ通りを車にスピードを落として走ってもらうためのキャンペーンをしようというものでした。で、4月のいつかの月曜日に、「ゆっくり走ろう」という趣旨のプラカードを持って、お揃いのTシャツを着て、通る車に手を振ろうということになりました。その材料のダンボールも配られました。なんて素朴でいいんでしょう。ようし、はりきって立派なカメを作るぞお−といったら夫が、「うさぎとカメの競争って、国際的な話なの?」といいました。そうよ、大丈夫!もうわくわくしてきちゃった。新聞に載るくらいの、すっごいカメを作ります。

1999年3月28日(日) 雨ときどき曇り
3ヶ月に渡る南極での鯨調査の旅から、青息吐息で帰ってきたKeikoがやっと元気を取り戻して、「今日は家探しに付き合ってね」ということで一緒に行ってきました。私、家を見るの好きなんです。アメリカ人の暮らし方って日本人と違うし。でも、ハワイでは、どこの家も靴を脱いで入ります。ハワイでは各国のいいとこ取りですから、家の中が汚れない合理的な日本スタイルを取り入れているわけです。その変わり、子供でも大人でも、すぐ外を裸足で歩き回ります。スーパーの中でさえ、ときどき見かけて驚きます。あと換気扇の排気が外に出ていない家が殆どです。換気扇に活性剤フィルターが付いていて、そこで空気を循環させるだけなんて信じられます?で、今日見に行った家はガレージの屋根が低すぎて、Keikoのかさ高ランドローバーが突っかかることがわかり没でした。高級車に乗ってるからですよ!あと何軒か一緒に見に行くので楽しみです。

1999年3月27日(土) 日がな一日雨
「歓楽街のない街は、人間が住むところとして不自然だ」と、日本人の若い男の子がヒロの街のことをけなしました。確かに、ヒロにはなにもありません。不謹慎な−と思いつつも妙に説得力があってそうなのかもしれないと思いました。居合わせた女性が、「だからヒロは不倫が多いのよ」といったけれど、”昨日、だれさんの家に何人お客さんがあった”と噂になるこの小さな街で、一体だれがどうやっていつ?と思いっきり疑問でした。彼女にそういうと、「実は私が・・・うそ」といったけれど、私、信じたからね!しかし3年ヒロに住んでいて、一組だって不倫カップルの話しなんて聞いたことありません。いや、もしかするとそれは、そうなったらすぐに離婚して再婚してしまうからかもしれません。おお、ここもアメリカ。

1999年3月26日(金) 晴れ一時雨
お客さんを家に呼ぶのが好きです。お料理をせっせと作って、みんなでわいわい食べて、いっぱい笑って、そして後片付けは、みんなが帰った後、楽しかった余韻を味わいながら1人でゆっくりするのが好きです。宴たけてという、これも至福の時間のひとつです。年配の知り合いが、癌になったことがわかりました。来週から抗ガン剤を打ち始め、余り食べられなくなると聞き、目一杯のご馳走を作りました。そして笑うと癌細胞が消えるという話も聞いていたので、みんなでたくさん笑って食べました。彼女も笑い転げて、「私は大丈夫よ」といっていたので、少しだけ安心しました。私は張り切りすぎて、みんなが帰って後片付けが終わったのは午前3時でした。しかし明け方ベットに潜り込んでも全く疲れを感じない、私の中の歴史に残るだろう、充実した楽しいパーティーでした。

1999年3月25日(木) 晴れときどき曇り
最近、やたらに人から「痩せたね」といわれます。そうかなと思って体重計に乗っても、体重は変わっていません。髪を切ったせい?顔が痩けたから?とくに4年ぶりにバッタリ会った安藤さん、「三鷹にいたころは、あんなにふっくらしてたのに」といいましたね。そんなこといって、あの頃の方が、体重少なかったんですよ。結局、身にまとう布の量の違いということでしょうか。今や毎日、薄布のワンピース一枚ですから。
私信:ユキちゃん、貴方が毎日近況報告をみてるといってくれるから、毎日更新がんばれます。今度、私のHPの中からメールを送ってみて。ちあきっこがお礼をいっています。

1999年3月24日(水) 晴れ
知り合いの日本人のお嬢さんが、ヒロでクラシック・バレーを習いたいということで、ヒロにはないだろうと思いつつもバレー教室を探してあげました。そうしたら2つもありました。驚き。その1つは、ダンス・アカデミーという組織で、そこにはタップ・ダンスもあるそうです。最近、リバーダンスにしびれている私としては、今度はタップ・ダンスがしてみたくなりました。他の人が踊っているところを見ると、本当に素敵ですよね。だから私だって・・・タッタカタカタカタン!こうして人生、誤ってばかりいる私です。でもやる。

1999年3月23日(火) 晴天
中国で、こんな風にカゴに入れられていたGarrulax canorusという鳥は、ヒロにもいます。中国人が1900年ごろにハワイに持ち込み、逃げて野生化したそうです。実に素晴らしい声で、信じられないような複雑な鳴き方をします。中国では、鳴き声を競わせて賭けをするそうです。今日珍しく、我が家の野鳥の餌場に来ていたので、しばらく草の影から観察しました。大きさは九官鳥くらいで、両足を揃えてチョンチョンと移動していきます。たぬき色(らくだのモモヒキ色)なのが、なんとも可愛い鳥です。両手で挟んで、いい子いい子いい子ってしたい(鳥は迷惑でしょうけれど)。私、動物全般大好きですが、とくに鳥が好きです!はち鳥からダチョウまで、大好き。

1999年3月22日(月) 大雨
知識というチャンネルで「女性の1人旅の安全を守るために」という番組をやっていました。その中で、ホテルに着いたら部屋に入って鍵を掛ける前に、荷物でドアを押さえて開きっぱなしにしておき、部屋の中に人が隠れていないか確かめなければなりません。クローゼット、バスルーム、そしてベットの下も奥までしっかり覗くことを忘れないように−(通りがかりの人が見たら、びっくりするかも)。その為の、ドアストッパーを持っていくと完璧です。とやっていたので笑ってしまいました。それを、そのホテルのマネージャがやるので、ますます日本と違うと感じました。

1999年3月21日(日) 大雨
久しぶりにコナまで買い物にいってきました。コナの本屋さんで立ち読みしていて、アメリカン・リースという本を見つけました。もちろん、ヒイラギや、杉のリースが基本ですが、ニラでできたリースを見つけてびっくり。それも根っこ付きで作るのです。キッチンに掛けておけば、餃子を作るときに便利?ヒロで売っている、ニラ三つ葉大葉などはあまり香りがありません。それなら自分で育てようと日本で種を買ってきて植えたら残念ながらニラだけ発芽しませんでした。とくに夫は、ニラが好きなのです。その当時、我が家の芝刈りは夫がしていました。夏はすぐ伸びるため、毎週、ヒィヒィいって芝刈りをしていたのです。吉田道利という夫の友達が遊びに来ていいました、「能丸さぁ、芝生やめて全面にニラを植えれば?同じ色だし、ニラが取れて毎週のニラ刈りも苦にならへんやん」−現在、我が家の庭は芝生のままで、芝刈りは庭師さんに頼むようになりました。

1999年3月20日(土) 雨
金曜日の夜から土曜日の明け方まで、そして、土曜日に目が覚めてから夜まで、全くHPに翻弄させられていました。それも偏に、私の知識の足りなさと怠け者だった為になのですが、つ・疲れた。しかし旅行記を書き上げ、HPの古い部分を整理して、自分としては今、大変にすっきりしました。あ、もしも削除してしまった去年の10月〜2月までの近況報告を見たことがなくて見てみたいという、そんな律儀な方がいらしたら、どうぞいってください。メールでファイルをガンってお送りいたします。いっていって、是非そういって。

1999年3月19日(金)
 雨少し晴れ
中国から帰ってきて1ヶ月が過ぎてしまったことに気が付き、一気に旅行記を書き上げました。こんなに長くても読んでいただけるでしょうか?もうすぐ夜が明けそう。現在エネルギー・ゼロ。おやすみなさい。
 ↓
と、ここまで書いて、データを送ったところ、私の使っていいメモリの容量を越えているということでHPの更新ができませんでした。過去の近況報告は新鮮じゃないから削除う、それでも、うまくいかない・・・

1999年3月18日(木) 晴れと曇りと雨
朝5時に起きて、ゴルフに行ってきました。コースに出た一番最初のグループで、後の人も来なくて、実に気持ちのいい日でした。キャディーさんなし、カート代込みで、25ドル。先週習ったケビン先生の教えが復習できました。ゴルフって楽しい!そして、ゴルフの後に食べたチョコレートのなんて美味しいこと。たくさんパクパク食べてしまったのは、自然に体が要求していたからでしょう。愛するチョコレートがこんなにも美味しくなるなら、ゴルフ、毎日してもいい。チョコレート万歳\(^O^)/。本末転倒。

1999年3月17日(水) 晴れのち雨
やっとの思いで、次号分の新聞に掲載する漫画を仕上げました。締め切りは、恐ろしいことに毎月5日なのです。いつも早めにやろうやろうと思うのに、才能がないので先延ばしし、最後に切羽詰まって苦しむのです。思えばこの性格、中学生のころにまで遡れます。学校の提出の締め切りをいつもぎりぎりまでやらずに、でもやらずに放っておけるタイプでもなく、いつもいつもお尻に火がついては悲鳴をあげ続けてきたのです。人生において、私はもうお尻を焼きすぎました。これからは心を入れ替えて着実にやっていくタイプになります。で、中国の旅行記はいつ書き上がるんでしょうね?だれか、締め切りを作ってください!

1999年3月16日(火) 晴れのち雨
コンピュータルームにいたら突然、窓の外で複数の日本人の声がしました。急いで窓を開け外を見ると、お母さん1人と中学生と小学生くらいの3人の女の子がいましたが、見たことのない人たちでした。宗教の勧誘は、よくこうやって家族で攻めてくるのです。この間、ドアをガタガタいわせた(3/10)という事件があったので、「帰ってください!」といおうと顔をしかめたとたん、「神澤ですう」と挨拶されました。つい1ヶ月前にヒロに転勤して入らしたご家族でした。怒鳴らなくてよかった。

1999年3月15日(月) 雨一時晴れ
この家の前のオーナーが蘭を好きだったようで、我が家の木という木には各種の蘭が植え付けられています。今、この中でも一番たくさんあるデンドロビュウムが一気に開花して、我が家の庭が一年で最もきれいな季節になりました。今日ふと、この白いデンドロビュウムに顔を近づけだら、なんとシトラス系の芳香が漂っていて、あまりに素敵な香りで、そのまま木の根本に溶けてしまいそうになりました。デンドロビュウムに香りのある花が咲くなんて、私は今日まで知りませんでした。

1999年3月14日(日) 晴れのち雨
日本が桜も咲く穏やかな気候になったので、避寒に来ていた母が帰国しました。次回は7月に、また3ヶ月ほど避暑に来ます。春と秋は日本で過ごし、夏と冬はハワイだなんて、こんないい生活ないですよね!私も秋は本当に日本へ帰りたくなります。来週、2年ぶりに帰国するという友達が、「私、浦島太郎になっているみたい。最近、日本の週刊誌を貰って見たら−松田聖子のご主人のハタノさん−て書いてあったから、神田マサキの本名か−と思って読んでいたら、松田聖子って離婚した上、再婚までたのね。日本に帰るの恐い」といっていました。

1999年3月13日(土) 雨のち晴れ、のち雨
親友のKeikoが、彼女の専門分野のの研究のため、第2昭南丸という船に乗り込み南極に行って、早3ヶ月が経ちました。先日やっと船から下り、「今、日本にいるよ。疲れたぁ」と、メールがありました。あと10日ほどしたらヒロに帰ってきます。つまんないよう、早く戻ってきてよ!Keikoは、南極の寒さを防ぐためにせっせと食べていたら3キロ太ったとか。そういえば昔、女優の和泉雅子は、南極に行って20キロ太ったらしい。−ということは、逆に暑いところでは痩せる?いやいや、ハワイアンはKONISHIKIだし。ハワイでは、太りすぎで歩けない人(電動車椅子に乗っているという悪循環)も見かけます。

1999年3月12日(金) 曇りときどき晴れのち雨
ざくろの絵を寝室の北の壁に掛けると子供が授かるという風水の話しをご存じですか?私の友達には、これを信じて子供ができたという夫婦が2組います。最近、知人から「義理の妹(アメリカ人)に子供ができず、この東洋のおまじないでもすがってみたいから、ざくろの絵を描いてほしい」と頼まれました。そこで、前にやっぱりざくろの絵を頼まれてプレゼントした、すでに子供ができたA子さんに(この間遊びにいったときこっそり見たら、別の部屋で埃を被っていたし)、「あの絵を返してくれる?」と、頼みました。電話では二つ返事でOKといったのに、今日メールが来て、「ごめんなさい。どうしても年内に2人目が欲しいので、やっぱり絵は返せません」と書いてありました。もう本当にざくろってそんなに効果あるの?

1999年3月11日(木) 晴れのち雨
台湾人のメイリーンに日本語を教えていたら、「そのままって意味がわからない」といわれ、説明するのに苦労しました。私が、「例えば、机の上が散らかっていて、メイリーンが片づけようとしたら、私が、あ、そのままでいいよ−とか、ご主人が酔っぱらってパジャマに着替えずそのまま寝ちゃう−とか、子供が学校から帰って宿題はそのままで遊びに行く−とか、状況が変わらないことなんだけれど、わかる?」といったら、きつねにつままれたような顔をしていました。こんなレベルの先生でいいのでしょうか。ぼちぼちというニュアンスも説明しにくいそうです。「ぼちぼち行きましょう」て便利ですよね。

1999年3月10日(水) 雨
今日も私がゴルフのレッスンに行き、母が1人で留守番をして2階でテレビを見ていたら、玄関のドアがガタガタガタガタと壊れるかと思うような激しい音がしたそうです。地震にしては揺れないしと不思議に思い下に降りてみると、エホバの証人の信者と名乗るおばあさんが2人、ドアにへばりついていたそうです(もう、古い家なんだからやめてください)。そして母に、この家に若い人がいるでしょうといい、名前は?いつ帰るのか?毎日出かけるのか?と、根ほり葉ほり質問するのだそうです。母は、「あんまり失礼なので何も教えず追い返したわ」と誇らしげにいっていました。アメリカでは表札というものはないですから。実はうちは、呼び鈴もないのです。うちが悪い?

1999年3月9日(火) 雨のち晴れ
アメリカも、電話セールスというのがとてもよくあります。気持ちよくお昼寝しているときに限って、そういう電話が掛かってきます。だいたいうちは電話に、もしもしと出ることにしています。そこで相手が沈黙すると、間違いなくアメリカ人からの電話です。次に悪い発音でヘローといいます。セールスマンだとまずここで電話を切ってしまう人がいます。それでも切らない電話セールスの場合は、ここで商品説明を一気にまくしたてます。私は、それを静かに聞いた後、アイ キャント アンダースタンド イングリッシュと抑揚なくいってあげると、向こうはとても同情した声で、I'm sorryといって間違いなく電話を切ります。アメリカでお墓なんていらないもん。

999年3月8日(月) 晴れ
初めて、ゴルフの個人レッスンを受けました。ケビン林というプロゴルファーに打ちっ放しで1時間、フォームを教えてもらいました。為になりました。ハワイに来てからコースに6回くらい出たけれど、まぐれにしか飛ばなくて、ゴルフを楽しいと思いませんでした。でも今日は、ビュンと球が飛んでいき気持ちよかった。ケビン先生に、Do you play any other スポット?といわれ、他の教室と二股かけていないか探っているのかな?と思ったら、先生の英語がピジンで訛っていただけでした。スポォーツといってくれないと。なので、「スキー」と答えたら、ゴルフに活かせるところがないようで、先生は苦笑していました。

1999年3月7日(日)
 雨
ヒロに来て最初に、「お米の品種は、国宝米に限るよ」とある日本人にいわれました。ハワイのお米は全部といっていいくらいカリフォルニアから来ます。水田米ではなく、陸米です。地元の人は、カリフォルニアGライスとか、シュア・セイブ米など、9キロで700円ほどのものを買います。ところが日本人は、お米だけは妥協できず、国宝米、錦米、田牧米など高いものに走ります。その方がやっぱり美味しいのです。今日炊いた、新米の田牧米は最高でした!でも地元に人には、「そんな高い米、食べてちゃダメだ」といわれます。が、これらも9キロで1600円ほどなのです。日本のお米の値段をいったら、「パンにしなさい」と、殴られそうです。

1999年3月6日(土) 晴れ
ハワイでの初海釣りに行きました。朝、4時半に起きてお弁当を作り、7時にホテルの前に集合して、海辺に行ってから釣れそうな場所探しに手間取りましたが、9時ごろには、海に向かって糸を垂れていました。ビギナーの夫は、小さな魚を4匹釣り、浮きを3つと、針をたくさんなくしました。魚は全部食べられなかったので、逃がしました。州の魚である、フムフムヌクヌクアプアアーも釣りました。とぼけた顔をしていました。私は、木陰にリゾートチェアーを置いて、読書と昼寝を楽しみました。遠くに見える海岸は、裸で泳ぐところだと聞いたので、鯨用に持っていった双眼鏡で目を凝らして見ましたが、みんな水着を付けていました。友達は双眼鏡を覗いては、「ほら裸だよ!」と何回もいいましたが、視力2.0の自分の目の方が確かです。彼の願望が幻を見せたに違いない。

1999年3月5日(金) 晴れのち小雨
土曜日に、友達たちと釣りに行くことになり、今晩は打ち合わせと称して、7人で、シーフードレストランに食事に行きました。私たち3人の他、一緒に行くのは、湯川さんと中沢さん夫婦ですが、どちらも日系人の若い夫婦なので、日本語が全く話せません。一番端の席に座っていた母が、「こちらから見ていると全員顔は日本人なのに、英語で話していて不思議だった」と感想を述べていました。母は、アホレホレの唐揚げ、夫はオパカパカの中華風、私は、マヒマヒを食べました。ハワイの魚の名前はかわいい。

1999年3月4日(木) 晴れのち待望の雨
日本では、ゴミをすてるときの分別がますます細かくなったそうですね。ハワイでは、ゴミの分別は全くありません。岐阜県の大きさに三鷹市ほどの人口しか住んでいない(岐阜出身の天文台に勤めている人の偏った比喩です)ので、ゴミの問題が起きないからだそうです。ゴミは全部埋めてしまうそうです。でも、これはいやな習慣です。ガラス、アルミ、鉄、新聞、ビニール、植物だけは民間でリサイクルをしているところがあります。しかし、ペットボトルはやっていないのです。しょうがないので、もうすぐ日本に帰る母に持って帰ってもらうことにしました。母はすごくいやがっています。

1999年3月3日(水) 晴れ
ハワイもガールズ・ディでした。ここでは本当に日本の風習がよく取り入れられていて、驚きます。もちろん日本ばかりでなく、中国、ポルトガル、フィリピンなど、たくさんの移民達が運んできた、習慣、ことばが、ミックスされているのです。本土から来たアメリカ人は、「ハワイはアジアだ。アメリカではない」といいます。とくにヒロは、30%が日系人です。近所の日系人の人が、「いるみたいやから声掛けたんやけど、返事がなかったから、玄関から入ってきたよ」と、自分で作ったアイスクリームを手に持って、リビングに立っていたときには、びっくりしましたが、昔の日本のようで嬉しくなってしまいました。

1999年3月2日(火) 晴れ
2ヶ月近くお休みしていた、日本語のレッスンを再開しました。生徒1号のロクサーンは、私が旅行に出る前に、「レッスンを休む間、私は毎日1時間日本語の勉強をすることを約束します」と、完璧な日本語でいっていたので、もう今日から教えることもなくなっていたりして思ったら、そのことを問いただすこともできないくらい、日本語を忘れていました。そして、今週から、生徒2号の台湾人のメイリーンにも日本語を教えることになりました。彼女は漢字が読み書きできるので、ひらがな、カタカナの練習から入ることにしました。彼女は台湾では有名なスケーターで、大会のため日本にも来たそうです。その後、DJになり、台湾では芸能人だったけれど、ここでは無名のファーマーなのといっていました。不思議な人がいっぱい。

1999年3月1日(月) 晴れ
1ヶ月前に引っ越しをした友達の家に行きました。もちろんレンタルですが、ヒロから16キロほど離れている村で一番の立派な家でした。ます、ゲートが電動で開く。スロープを登るといきなりプール。そして、横には屋根付きバーベキューコーナー。庭は芝生で打ちっ放しの練習。家に入ると、リビングからはさえぎるものなく海が見渡せ、床はフローリング。バルコニーは全面網戸で覆われて2台のベットが。バーカウンターがあり、巨大なテレビ。地下にはトレーニングルーム。アメリカ映画に出てくる家みたい・・・そして、ウオッシュレットと木のお風呂?そう、この家の持ち主は日本人なのです。気になる家賃は、16万円!夜になったら、プールの中に青いライトが付き、ムード満点。あまりにもお洒落で、また東京が恋しくなってしまいました。ヒロに来たときは、一緒に見に行きましょうね。