中国5000年を感じた旅-Part T

(緑字だけなら)面白編

この旅行記を書いているうちすっかり夢中になり、全く自分のための長い記録となってしまいました。結果的に中国に興味有りという方ではないと全部読む気はしないと思います。−ということで、笑えるところだけなら見てあげようという方は、緑の文字のところだけ拾い読みしてください。それが面白編です。尚、この旅行記は、中村京子さんの旅行記をお手本にしてみましたが、彼女のような読みやすいものは作れませんでした。読みにくくてごめんなさい。しばらくの間、少しづつ手を加え続けていくことと思います。



私が今回旅したのは、中国の西南地方、昆明(Kunming)、成都(Chengdu)です。
前半は、天文の会議に出席する夫と一緒、後半は日本から来てくれた三国志の好きな友人と一緒の
全行程20日間という長い旅でした。私1人ではこんなに充実した楽しい旅はできませんでした。
素敵な中国を紹介してくれた2人に、心から感謝しています。

旅から戻って1ヶ月後・・・1999年3月19日記 

ちあき


1月30日(土) 【いい日旅立ち】 ヒロ→ホノルル

●予約を取った飛行機は昼過ぎにヒロからホノルルに飛ぶはずが、夫がオフィスへ行ったきり戻らず、急遽フライトを3時間遅くする。そのためホノルルで遊ぶ時間がなくなる。しかし夕食は夫の誕生日が近いこともあり、張り込んで京屋という、ホノルルで一番といわれている日本食レストランへ行ってみる。私たちの様子から、店員が、今日が夫の誕生日であると勘違いし、デザートのときいきなり「ハッピー・バースデー」を大きな声で唄われ、写真を撮られる。ホノルル空港の近くの安いホテルに一泊。


2月1日(日) 【久しぶりの日本】 ホノルル→成田→バンコク

●ホノルル朝8時発のUAに乗り込み成田へ向かう。このごろUAは日本行きを重視していないらしく、どんどん早朝出発モードになっていく。とうとうヒロからは必ずホノルルに一泊しないと日本行きに乗れなくなりとても不便
●成田では6時間の待ち時間があり、入国手続きをする。買い物をするために成田駅まで出掛ける。一年ぶりに踏む日本の地面。しかし成田は、いかにもそこに住んでいますという外国人が、なぜあんなに多いのか?ダイエーの中も、ベビーバギーに日本人とのハーフと思われる子供を乗せた、ロシア女性たちが、ロシア語で楽しそうに買い物してたし、町をイスラム教徒と思われる女性が歩いていたり、道行く人の半分が外国人だった気がするのは、少しオーバー?でも不思議な町、成田。ダイエー、ジャスコと梯子して、ハワイで買えなかった冬服を無事に買う。
●成田空港に戻り、あの憎き空港使用料の黄緑色の券売機を探す。ない。どうして?何と、チケット代に含まれるようになったとか。得した気分がするのはあくまで気のせい。再びUAに乗り込み、無事タイのバンコクへ到着。空港内のホテルに一泊。


2月2日(月) 【中国入国】 バンコク→昆明

バンコクの外気温は40度で、湿度も高い。昨日からの移動が、常夏のハワイ→厳冬の成田→むしむしのバンコク→大陸的冬の昆明へ ということで、洋服をどう着るかがすごく難しい。ハワイを出たときは、ノースリーブのワンピースだったのに、成田を通過したため、しっかりと冬服。バンコクでは回りの人から思いっきり浮く。タイのホテルで食べたタイ式朝食は実に美味しい(主にはお粥だが)。一度お試しあれ。
快適なタイ航空。なにがかというと、飛行機が清潔な上、スチュワーデスさんたちがスタイルよくて、美人で、優しいから。女の私だって、きれいな人にサービスしてもらう方が嬉しいもの(以前乗ったロシアの飛行機では、声を掛けるのもはばかられるほどスチュワーデスが恐かった)。無事中国へ入る。しかし到着寸前に、スチュワーデス全員が並んで機内に気休めのような殺虫剤をスプレーした。全員揃ってやると、キンチョールの宣伝みたいで愉快だった。
●昆明で、一万円札を中国の元(げん)に替えてもらおうと思ったら、お札の折り目部分が1mm破けてるからダメという。よし、中国のお金はきれいなんだな?(→とんでもない。びりびりのぼろぼろで、お札に紙で継ぎまで貼ってある。相手があまりに汚い札を出したときは、「これいや」と突き返すのがルール)。みんながインスタントコーヒーの瓶に、お茶の葉っぱを入れ、そこにお湯を入れ、それをときどき飲んでいるのでびっくり。


2月3日(火) 【観光三昧】 昆明

●夫は研究会で発表。私は、観光へと出かける。今回、東アジア天文会議ということで、出席者は、殆どが中国人の天文学者。他に韓国、台湾、日本、インド、インドネシア、フィリピンの人なども来ていた。が、観光へ行く奥様は、中国人20人くらいと、韓国人2人、日本人私だけだったため、ガイドは全部中国語だった。
石林という、3億年前は海底だったところが地殻変動で地表に露出し、石灰岩が浸食で規模の小さな桂林のようになっているところに行く。驚いたのは、自然のままにしていないこと。岩の名前や説明を、直接岩に彫ってペンキを塗ったり、回りに花壇や芝を植えて、ミスマッチな庭園にしてある。人民の数にものいわせ、せっせと芝刈りをしているところではとうとう笑ってしまった。
●入り口に、「身長1m以上から入場料必要」と書いてある。子供のときから背が高かった私は、損するシステム。
●少数民族、サニ族の男性がガイド。彼の帽子についている房は花を形どっていて、恋人ができたらそれを贈る。やはり恋人募集中の女性は、帽子に蝶の飾りを付ける。彼は恋人募集中。とてもわかりやすい。日本でも導入する?


2月4日(水) 【今日も観光】 昆明

●中国には、56の少数民族が住んでおり、雲南地方には、そのうち26の少数民族がいる。と、いうことで、雲南・少数民族村に行く。私は、日光江戸村に近いように感じた。しかし、入り口に、本物の少数民族の少女たちが並んでいた。仕事はガイド。そこに、3人の男の人のグループ(どうして平日に、大の大人、男3人が、テーマパークに遊びに来るのかが不思議)が、ガイド料(1100円)を払い、並んでいる彼女たちの1人1人の顔をしげしげと見て、一番かわいい子を指名する。彼女たちもそれをよくわかっていて、閑さえあれば鏡をのぞき込み熱心に化粧直しをする。もちろん園内のガイドしかしないわけだが、なんだかご指名するパブかなんかのよう。彼女たちは十代だけれど、学校にもろくに行かないそうだ。低進学率が中国の問題のひとつとのこと。作られた観光地は、今ひとつ私の好みではなかった。仏様が金色の薄いプラスティックでできていた。
●ここで食べた過橋米線という麺料理は面白かった。うんと熱くした丼に熱々のスープを入れ、上1cmは鶏の油を浮かべ中に熱を封じ込める。そして、14枚の(値段によって枚数が違う)小さなお皿に入った、生卵、薄切り肉、野菜、などを次々入れていき丼の中で火を通すというもの。そして最後にうどんに似た麺を入れ食べる。昔、食べることも忘れて、勉強ばかりしていた夫に、いつ食べても熱い物を食べさせようと賢妻が考案した愛情深い料理という説明だった。美味しかった。
●道教のお寺がある、西山森林公園に行く。とくに一番高いところには、有名な龍門がある。70余名の石工が22年掛かって掘ったという、切り立った崖の絶壁にある門。昆明の町が見渡せる。恐いくらいの 素晴らしい眺め
●帰りに、バスが「ナントカ医院」という大きな建物の前に止まる。急病人でも出て立ち寄ったのかと思ったら、なぜか全員下ろされる。それなら研究会の出席者が急に入院したからお見舞いかと思い私も建物の中に入ると、すごい数の白衣を着た化粧の濃い女の人がいて、さいの角とか、たつのおとしごなど売っている。つまり漢方薬屋。全員部屋に通され、中国語の説教が始まる。わからないので寝てる。が、しばらくすると偉そうな先生がどやどや入ってきて、3人づつの前に1人座り(妙に隙間のある変な机の並べ方だと思ったら)、「さあ今日は無料で貴方の健康をみてあげましょう」といっているらしい。しかし、私たちは韓国人2人と私の3人で並んで座っていたため、だれも中国語がわからず、そのうち先生が怒り出してしまう。しょうがないので、あまりの埃と排気ガスに毎晩鼻づまりしていた私が、通鼻消涕飲とかいう漢方薬がいかにも鼻を通しそうだし、20日分2300円とお手頃な値段だからと買うことにする。かと思っていた私たち担当の年配の女医さんの表情が、突然菩薩に変わる。きっとお給料は歩合制に違いない。あとで夫に話すと、そんな高い薬!とびっくりされる。中国の農家の一家族の収入は、まだ1ヶ月5000円くらいらしい。そうか。でも不味かったけど、効いた。


2月5日(木) 【町で買い物】 昆明

●デパートに行く。奥様たちはみんな嬉々として出かけていく。私は通訳の学生さんと一緒に、筆と、お茶と、ドライフルーツを買う。あとエアメールを送ろうと、郵便局で切手を買おうとしたら、「切手はない。ここでお金を払って、はがきを置いていけ」といわれる。まだこれからも手紙を書くから切手を売ってくれといっても、切手はないという。また戻ってきたときの中国の住所も必要とかいわれ、ものすごく面倒くさい。その場で書き終えたはがきだけ処理して貰う。私の方針として、旅行から本人が戻って来てから、旅先から出したはがきが着くのはいやだから、こうして中国に着いて4日目にエアメールを出した。にも関わらず、ハワイにいる母に私のはがきが届いたのは1ヶ月も後で、私はすでに横にいた。エアメールだぞ。
●ツアーに3組ほど子供連れがいた。中国は、本当に一人っ子政策が浸透している。子供が王様のように扱われていて、ときどき子供のあまりの我が儘さに目を見張る。そういいつつ、実は私も一人っ子だ。


2月6日(金) 【雲南天文台見学】 昆明

●バスに1時間ほど揺られ、天文台へ行く。毎日、毎時、運転が恐い。中国は、自転車だけでなく自動車の数も多い。私は、この乱暴な運転の恐怖に、毎晩、交通事故に合う悪夢を見る。天文台の中は、緑が豊かで広く、リスなどもいてのんびりしている。整備は近代的。しかし、球形のドームが、左右にスライドして開くというのは驚いた。年配の天文学者は、文化大革命のとき、地方に送られ労働をさせられたらしい。天文台も革命後の80年代に作られた分、新しい。歴史の痛みを感じた。
●この日の夜から、町のホテルに変わる。夜10時過ぎ電話が鳴り、中国語で女の人が何かまくし立てている。少し中国語ができる夫が話しても訳がわからない。彼女は、とにかく今、そこにいくからドアを開けてといったらしい。そうすれば筆談もできるかと待っていると、これまたけばけばしいお化粧の派手な服を着た若い女の子がやってきて「美容」(=マッサージのことらしい)というが、私がいるのを見たら、急いで帰ってしまった。怪しいそ。非合法の??この日から数日間、毎晩遅くにこの電話が掛かってきた。隣のベトナム人は、一回間違えて部屋に入れてしまい、すぐに追い出していた。
●しかしこのホテルは結構いいらしく、毎日のように結婚式がある。今日の花嫁さんは真っ赤なウエディングドレスだった。ぎょ


月7日(土) 【夫、ハワイへ戻る】 昆明

●夫の出発は夕方なので、2人でバスと徒歩とで町をぶらぶらする。旧正月(2/16)の前ということもあり、各通りにある市場の活気はすごい。久しぶりの人混みに気後れしながらも、たくさん歩く。ハワイで、1日100mくらいしか歩かないのと大違い。何でも5元(70円)という店を見つけ、後でそこで買物をしようと思っていたら、先で何でも3元(42円)店を見つける。お茶用ふた付きカップを買う。しかし、その後、何でも2元(28円)店を見つけ、ちょっと後悔。売っている物は大差ない。
●そんな路地の小さな食堂に入り、地元の人と同じものを食べてみる。火にかけた土鍋の中に、辛いスープと麺が入っているものを食べる。夫は焼きそばみたいなものを注文する。外に出たら、その店の人が、バケツの溜め水で食器を洗っているのを発見。衝撃。今回の一番大きなショック。
●夫を空港に見送りに行く。屋外の喫茶店で時間を潰していたら、貧しい靴磨きの人たちが次から次へとやってくる。人の足元に這い蹲り、手を真っ黒にして、私たちは同情してしまった。しばらくして夫が靴を磨いて貰うことにする。20代半ばの女の人が、5分ほど夫の靴を磨く。料金は30元(420円)。これは中国ではいいレストランでの1人分の食事の値段。ふっかけているとしか思えない。そして、やめてという私の靴まで無理矢理磨き始める。狭いテーブルの下で、足を掴んではなさない。裏革のブーツだし、昨晩自分で拭いたから止めといっても、全く通じない。彼女はいいかげんに済ませ、20元(280円)という。私は悔しいので、10元しか出さない。彼女の表情がさっと変わり、鋭い目で睨み付け、何か叫び始める。疎ましくなって20元出すと、さっさといなくなる。後で他元の人たちへの請求をみたら、1人5元(70円)だった。私は、この不愉快な経験と、こんな国で1人になる不安とで、不覚にもぽろぽろ涙が出てしまった。一緒にハワイに帰りたかった。2人で50元(700円)という靴磨き代は勉強料だったと思うが、結局この後も何回か同じような経験をしてしまう。


2月8日(日) 【夜に到着する友人を1人で待つ日】 昆明

●今晩遅く、友人が昆明に到着するまで1人で行動する。今日はひたすら町を歩き回る。駅の近くで、杭州・小龍包(しょうろんぽう)を食べる。餃子も追加してみる。ことばが通じないので餃子の絵を描いて注文する。全部とても美味しい。しかし、小皿に醤油、ネギ、ラー油などを入れるとき、だと思って、人の残りのスープを入れてしまったらしいと後で気が付く。よくわからないんだから紛らわしいところに置かないでよ。昨日、夫が「駅の近くにあるハルピンの水餃子を食べてごらん」というから何回も探すが、漢字で書いてあるのでわからなかった。国際電話で夫に聞いたら哈爾浜と書くという。これをハルピンと読むとは、私には想像もつかなかった。
●どうも私の歩く速度が中国人の倍くらい早いらしい。次々、人を抜かさないと私の気持ちいいスピードで歩けない。抜いても抜いても人民・人民・人民なので、やがて私もゆっくり歩くことを学ふ。

●夜9時近く、一年ぶりに会う友人が無事ホテルの部屋へ到着。再会を喜ぶ。この果てしなく広い中国で待ち合わせした私たちってかっこいい?


2月9日(月) 【自分たちで観光・カモにされた日】 昆明

●絶壁にある龍門に行きたいという友人の希望で、再び西山公園に行く。人に連れていってもらうとすぐだが、自力で行くとなると市内バスから長距離バスに乗り換えるくらい遠い。中国語を勉強中の友人ががんばり、道に張り出されている新聞を(暇そうに)読んでいた中国人女性に話しかける。親切な彼女は、バスで大観公園に行き、そこから纜車で西山に行くといいと教えてくれる。筆談と絵で、纜車とはロープウェイのことだとわかる。大観公園に到着し、今度はそこに立っていた麦わら帽子を被った若い中国女性にロープウェイの場所を聞く。彼女は、入場料を払って公園に入れという。お礼をいいチケットを買って中に入ると、気が付くと麦わら帽子の彼女がさりげなく私たちに付いて来ている。公園の中にいた人に、「纜車乗り場はどこ?」と聞くと、そんなの知らないという。そして、その質問の輪の中にさっきの帽子の彼女が入ってきて、「西山公園に行くなら、ここからボートに乗る。2人で80元(1120円)」という。実は、彼女はボートの客引きだったのだ。私たちそんなこと聞いてないの。その公園に隣接する大きな湖は吐き気がするほど臭い。そんな臭いボートになんて乗るもんか。怒って私が唯一知っているいらないという中国語プーヤオと吐き捨て、友人と2人で歩き出す。別の人に、「纜車乗り場を知らない?」と聞いていると、また彼女が輪に入ってきて、「ボート、2人で50元」という。本当に頭にくる。プーヤオ!公園内のチケットを売っている人なら知っているだろうと窓口で聞いていると、再び彼女が顔を突っ込んできて、「纜車はない。ボート40元」という。プーヤオプーヤオ!こうなったらボートにだけは乗らないぞ。走るようにして大観公園の外に出ると、またしても彼女が走ってついて来る。実は彼女は5人くらいいるんじゃないか?私、彼女を振り切るためなら、何でもしようと思っていた目の前に、バイクの後ろにボロい箱を繋いだ三輪タクシーがやってきた。夫に、三タクだけは乗っちゃいけないといわれたいたそれに、私たち飛び乗る。

●三タクの兄さんは、口ひげをはやしたコメディアンのような顔をした素朴そうな人。ひたすら筆談で値段を交渉する。きっと纜車乗り場はこの近くに違いない。彼は、到海便15元(210円)と書いたので、それなら安いと思い、私たちは三タクに乗り込む。走り出すと、人しか通れないような細い道を通り、柵がしてある橋をそろりそろりと通り抜け、しばらく走ると殆ど車が通らないところにバイクを止め、ここで降りろという。道端のゴミに火がついてぼうぼう燃えていて恐い。いったいここはどこ?彼はここに私たちを連れて来てから、纜車乗り場のある民族村40元と書く。こんなことだと、民族村からも本当にロープウェイに乗れるかも心配になる。じゃ西山公園までいくら?と聞くと、50元+路費10元と書く。どんなに交渉しても彼は絶対に安くしない。そりゃこんなところで取り残されたら私たちは危ない。コメディアンのような顔してこの兄さん!しょうがないその値段で西山公園までいってもらう。途中、10元の高速料金を取られ、なんと三タクで高速をぶっとばす。地面の振動がもろにお尻に伝わってくるこの乗り物に30分あまり、私たちのかわいいお尻がしびれて痛かった。やっとの思いで西山公園の入り口に到着し100元札を出すと、50元のお釣りがない。この50元て値段、兄さんの何日分の稼ぎなの?命あって西山公園に到着し、私たちはほっとして腹も立たなかった。それに50元も!って思ってもまあたった700円。

−さてこの後、混迷の昆明から成都への脱出と中国の旅は続く− 

成都へつづく