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悪夢のハローウィン 1997年10月記 ある日、同じ階に住む日本人から、「あのね、アンナは、とってもいい人だけれど、とっても気難しい人だから、嫌われたら最後、このフロアじゃ暮らせなくなるから気を付けてね」と、いわれました。私は、「そうか、これは折をみて、必ずご挨拶しておかねば」と、思いました。 と、思ったところが、その男性はただ乗り合わせた人で、すっと次の階で降りてしまったのです。結局2階から最上階の9階まで、狭いエレベーターの箱の中に、そのおばあちゃんと私の二人っきりになりました。9階に着くまでの時間の何と長かったことか。重苦しい空気が私を押しつぶしていくようでした。 「さぁ、今でも遅くない挨拶するのよ!」と自分を励ましても、緊張して英語が出なくなり、私はただただ「せめてこの人が9階の主ではありませんように」と祈るばかりでした。9階で扉が開き、先に降りたおばあちゃんは、「はあっ!」と聞こえよがしな大きな溜息をついて、まるで「挨拶もできないんだね!」という様子で、さっさとホールから一番近い部屋に入ってしまいました。【ああ、貴方はやっぱりアンナおばあちゃん】。私は自己嫌悪の固まりとなり、自分の部屋に続く長い廊下を一人とぼとぼ帰りました。 そのとき、ランドリーのちょっと手前にあるリサイクル品が置いてある小部屋から、突然アンナが出てきたのです。何というタイミングの悪さ。私は危うく彼女に衝突しそうになりました。今度はすぐに「ごめんなさい」と英語は出ましたけれど、彼女はポスターを指差し、「廊下は走っちゃっだめって書いてあるでしょう。危なじゃない」と、怖い顔をしてまたバタンと部屋に入ってしまったのです。 どうしてこう運の悪いことが重なるのでしょう。まだヒロに友達もなく、唯一顔を合わす同じフロアの、それも9階の主にこんなに嫌われて、私はこれからどうしたらいいのかと憂鬱でした。そしてその懸念は当たり、それからというものアンナおばあちゃんは私と廊下で出会っても、挨拶もにこりともしてくれなくなりました。 さて、10月に入ると、ヒロの街の至る所に、ハローウィン用のお化けの絵や、かぼちゃのランタンや、作り物の墓石などが飾られるようになりました。私もこのかぼちゃのランタンを作るのが好きで、日本でもハローウィンには、母にもったいないと怒られながらも一個千円近くもする緑のカボチャで『ジャック・オ・ランタン』を作り、夜にはろうそくを入れて門柱に飾っていました。 ハワイでは、スーパーマーケットに行くと、日本で憧れていた大きなオレンジ色のカボチャが山積みで売られています。私ははりきって、念入りに形のいいカボチャを選び、早速ランタンを作ってみました。カボチャの中身をすっかり掻き出し、専用の小さなナイフで側面にお化けの顔を切り込みました。それを使えなくなった深鍋の上に置き、中に小さな懐中電灯を吊り下げ、明かりをつけてみました。自分でいうもの何ですがとても素敵です。 「マンションでは外に飾れないし、夫と二人だけでみててもつまんないし、これをみんなが通るエレベーターホールに置かせてもらえないかな」と思ったものの、置くにはアンナの許可が必要です。主にはすっかり嫌われているから、「こんな気持ち悪い物を9階のホールに置かないでちょうだい」と怒られるのがおちかと、しばらくランタンを眺めて考えていました。「でも、ものは試しに頼んでみよう」と、ランタンを抱え、アンナの部屋のチャイムを押しました。 「イエ〜ス」という優しい声と共に扉が開きました、が、私を見たとたん、すぐいつもの怖い顔になりました。私がつたない英語で「いつもホールをきれいにしてくださって有り難う。それで、私、このランタンを作ったのだけど、あの、あのこれを・・・」と、どきまきして英語に詰まったとき、アンナが目線を落として私の手に抱えられたカボチャを見ました。 するとアンナの怖い顔が、スローモーションをみるように今まで見たことないこぼれるような笑顔に変わり、「まあ貴方、それを9階のホールに置きたいというのね。なんて素敵なんでしょう!あら、ライトもつくの?いいわ、いいわ」とそのまま裸足で部屋から出てきました。 「どこがいいかしらね」というので、私が、「こちらの角に置かせてください」というと「あらダメよ、真ん中よ!植物をわきに移動すればいいのよ。それにね、その中のライトは、私の部屋が近いから、夕方つけて、夜寝る前に消すわ。私、9時に寝るんだけど、それでいいかしら?夕方は5時にライトをつければ仕事から帰ってきた人がちょうど見られるわ。いいわ、いいわ。そういえば貴方名前なんていうの?」とすっかり饒舌で、「千秋です」というと「日本人の名前は難しいわね、ち・・?もう一回いって」「ちあきです」「本当に有り難う、ちあこ。今晩からとっても楽しいわ」と、こちらが感激するくらい喜んでくれました。 その夜、帰宅した夫に、「ホールのランタン見た?今日、私が作ってね、アンナおばあちゃんが置いてくれたの。9階の主が許可してくれたのよ」と、有頂天で報告しました。 そしてランタンはその日から、夕方5時にはライトがつき、夜9時にはライトが消えるようになりました。 けれど、翌々日、エレベーターが来るのを待ちながら閑に任せてよくよくカボチャをみると、口元に黒いものが付いてます。まるでこのランタンがこっそり、黒ゴマつきお煎餅を食べて、うっかりその黒ゴマを口元に付けたままにしているようにみえます。まさかと中をのぞき込むと、黒いカビが点々と生えています。そして鼻がひん曲がるほど臭いのです。中に突っ込んだアンナの手は、相当臭くなるに違いありません。 私はびっくりして、すぐアンナの部屋のチャイムを押しました。ニコニコ顔のアンナが出てきました。 私も、それならいいかと思いそのままにしておき、もう一度夕方にチェックすると、更にふわふわしたカビまで生えてきて、心持ちカボチャの形も歪んで鍋に沈んできたように思えました。「本当に大丈夫かな、これ」と心配しながら部屋に戻りました。 夜になると、我が家の扉の下の隙間からカサカサカサと白い紙が差し込まれました。びっくりして飛び上がりましたけれど、見ると、それはアンナからの手紙でした。 「やっぱりあなたのいう通り、私たちはあのカボチャを捨てなくてはなりません。腐っています。残念だけど明日私が写真を取ってから捨てます」と書いてありました。私はすぐに「明日、もう一度新しいのを作ります。今度はカビよけをします」と手紙を書いて、彼女の扉の下に差し込んでおきました。 翌朝、アンナが来て、しょげた顔をして「カボチャは高いから二つも買うなんてもったいないわ」と、いいました。私が「もう一回作りたいの。今度のはちゃんとハローウィンまで保たせるようにするから」というと、「それならくり抜いた中身で私がパンプキンパイを作るわ。そして今度は、表情を泣いてるようにしたらどお?」と、いたずらっぽく笑いました。私はますますはりきって前より高いカボチャを買い込み、目の玉まで残す慎重さでランタンを仕上げました。 そして、カビよけにブリーチで、ていねいに内側を拭き、半日クーラーの上で乾かしておきました。きっとこれで大丈夫。でもオレンジ色のカボチャの中身はとてもまずそうだったのでそのまま捨てました。あとで、やっぱりあれは牛の餌だと聞きました。パイを焼いてもらわなくてよかった。 さて、次のランタンを届けると、アンナは「ブラボー!前のよりいいわ」と大喜びで、ちょうど通りかかった人に「みてみて、彼女が作ったの。素敵でしょう」と誉めてくれます。 その日の夕方、ランタン二号は再び9階のエレベーターホールでささやかに光っていました。その夜、またドアの下から手紙が差し込まれました。再びアンナからです。「私、考えたんだけれど、灯りが懐中電灯だと、電池がすぐになくなるから、うちの電気スタンドと取り替えます。それにその方が明るくて見栄えするし。明日、懐中電灯を片づけてね」と書いてありました。 その翌日、また手紙が差し込まれました。見慣れたアンナの字で「私、考えたんだけれど、あのカボチャを、あと一週間保たせるために昼間は私が冷蔵庫に入れる方がいいわ。だから貴方は、ランタンがなくなったと思って驚かないでね。夕方にまた出しておきます」と書いてありました。こんなに幸せなジャック・オ・ランタンがあるでしょうか?それから一週間余り、ランタンは昼間はアンナの冷蔵庫の中で眠り、夕方になると恭しくホールに登場し、夜には煌々としたライトに浮かび上がった表情がどことなく誇らしげでした。そして、アンナと私はすっかり仲良しになりました。それが何よりの贈り物でした。 ただし、ランタンには思わぬ災難がありました。うんと冷たくなって冷蔵庫の中から出てくるため、冷房のない暑いホールに置かれると、すぐに結露してしまうのです。毎晩、大きな顔いっぱいに汗とも涙ともいえないような水滴をしたたらせ光っているランタンは、それでもどうにか10月31日まで保ち、他の9階の方たちとも話すきっかけを作ってくれました。 思い出すと、楽しくて、切なくて、きっと一生忘れられないハローウィンです。今はマンションを出て一軒家に引っ越しましたけれど、今年もジャック・オ・ランタンを二個作って、一個は我が家の門柱に、一個はアンナに届けようと思っています。 |
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