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フラに憑りつかれる/ハワイアン・スピリッツ 1998年9月記 1年前、この連載を始めるに当たって私が思いついたタイトルは、「笑いは百薬の長」というものでした。これは私のモットーです。しかし夫の反対にあい、タイトルこそは変えましたが、結局内容としては、1年間笑い話しばかり書いてきたような気がします。こうしてハワイで病気一つせず、笑うことがたくさんある毎日だったことに感謝しています。 さて2年生最後の今月は、ハワイで学んだことで、今学年、私にとって一番大きな経験だったことを笑わずに書いて、締めくくりとしたいと思います。 フラを習い始めて、1年半経ちました。週2回、1回2時間の夜のレッスンに、殆ど休むことなく通っています。私にとって、パーティーがあろうが、お客様が泊まりに来ようが、申し訳ないけれど、このレッスンが優先順位1番です。旅行も、フラのレッスンがない時期を選び計画する執拗さです。どうしてもレッスンを欠かしたくないのです。教えてもらえることを、ひとつも逃したくないのです。 ヘトヘトに疲れている日でも、いやなことがあった日でも、先生が生で弾いてくれるウクレレと、その気持ちのいい声に合わせて踊っていると、やがて頭の中がすっと無になって、私の中のネガティブな考えや、疲労感が消えていくのです。それは不思議な感覚です。そして、−ハワイにいて、こんな風にフラが習えて、何と幸せなのだろう。これから一生、ハワイにいたときは幸福だったと、思い出すたびに満たされる気持ちになるだろう。私にとって、今はまさに宝物になる時間を過ごしている−と感じるのです。 ハワイにいると、そういう至福体験は、ただキッチンに立って料理をしていて、窓から爽やかな風が吹き込んできたときにも感じます。後から考えて、−あのときは幸せだった−と思うというレベルではありません。−ああ今、まさに幸せの真っ直中にいる−、そして体がぶるぶるっとするのです。これだけの幸福感は、人生に於いて思い出すと、好きな人に思いが通じたときとか、結婚してからの1年間に匹敵します(問題発言)。 話しはフラに戻ります。以前、テレビでハワイアンの血が流れている人が、「フラを楽しむためだけに踊っている人がいますが、私は違います。自分の魂の中から伝えたいものが突き上げてくるのです」と、いっていました。本当に残念ですが、私が、その『楽しむだけに踊っている人』です。フラを習っていると、私にもハワイアン・スピリッツがあったらいいのにと思うことがあります。髪も長く伸ばしました。日頃の動作も、踊りのように指先を優美に動かそうと努めています。でも、それは報われない努力です。 こうして最近まで、自分の満足のためだけにフラをやってきていた私は、家族にさえ踊りを見せたことはありませんでした。それは、だれも「フラを見せて」といってくれなかったからでもあるのですが。とにかく、人様に私のフラをお見せすることは、とてもできないと思っていました。レッスンのときも、最後尾の端っこが、いつも私の所定の位置でした。 ところが今年の5月になって、先生から、「私の生徒たちは月に1回、ホスピスで、ボランティアでフラを踊るのだけれど、今月から千秋も参加してね」と、いわれたのです。「遂に私も人前でフラを踊ってもいいの」という嬉しさと、「私が踊ったりしてはいけない」という不安が過ぎりました。 5月の下旬、ロングのムームーを着て、頭に花を付けて、ベテランの生徒さんたちに混じって、私もホスピスの入り口で出番を待っていました。ヒロには珍しい晴れた朝で、じりじり太陽が照りつける明るい日曜日でした。ホスピスのレクリエーション室に入ると、40人くらいの、お年寄りと、障害があると思われる若い方もいました。 先生が、「最初は、アロハ・タイム」と、いいました。生徒たちは、一人一人の患者さんに、挨拶して回ります。私は、胸が詰まってしまい、うまく挨拶ができませんでした。痩せている男性の患者さんは、晩年、ホスピスで息を引きとった父を彷彿とさせ、うっときてしまいました。 踊りが始まると、だいぶ自分がどこにいるか気にならなくなってきました。車椅子に座って、手だけ動かしているおばあさんもいます。一緒に歌を歌っている方もいます。ニコニコしながら、部屋を徘徊している女性もいます。みなさん笑顔が素敵です。私は、暑さと緊張でたらたらと汗が出てきました。いっぱい間違えてしまいました。踊っている私の方が、励まされているような気がしました。 でも私は、我が家からこんなに近いところに病院があって、そこにこんなにたくさんの患者さんがいらして、なのに自分ばかり、『ハワイに来て幸せ』と思っていて、今日まで何も知らずに、何も考えずに、なんと愚か者だったかと情けなくなってきました。 何曲か踊ると、先生がまた「終わりのアロハ・タイム」といいました。私は、『踊るだけならいい。うまく挨拶ができないから、これがないといいのに』と思いました。みんなは、ハグ(抱擁して頬にキスを)しています。普段でさえ、相手からハグされてもぎこちなくしかできない私に、こんな動揺しているときに自然なハグなどできそうにもありません。手を握って、一言いうだけで精一杯です。 目に涙が溜まっているおばあさんに挨拶したとたん、とうとう私も我慢していた涙がこみ上げてきてしましました。自分に向かって、「なんで泣くの、泣いちゃいけない」といい聞かせても、涙は止まりません。近くの洗面所にそっと隠れました。白人の友達やってきて、「大丈夫よ、ちゃんと踊れていたから、泣かないで」といいました。私は、違うといいたかったけれど、頷くだけでした。 実は私は、このホスピスに踊りに行く前に、「いろいろフラ教室に行った方がいい経験になるし、もっと華やかな発表会があったり、スタジオがきれいなフラ教室へ変わってみよう」と、別のところも見学に行っていたのです。ところが、ホスピスで踊ってから、「こういうことをずっと続けている先生のところで、私は地味にフラを習い続けたい」と思うようになりました。 次のレッスンの夜、先生が、「ホスピスで踊り終わった後、気がついたら千秋はいなくなっていて心配したよ」というので、私は、「ホスピスで踊ったことは私にとって、とても貴重な経験だった。涙が出て、急いで帰った」と、話しをしました。そして、「こういう機会を与えてくれた先生に感謝している」と伝えました。 先生は、「私の父は、あのホスピスで、86歳で癌で亡くなった。父をとてもよくケアしてもらって、それから月に1回、ボランティアで踊りに行くようになった。ホスピスに入っている方は、翌月には亡くなっていたりするけれど、フラを見ているときは、みんな本当に幸せだから」と、話してくれました。先生の目にも涙が溜まっていました。 私は、これからも欠かさずホスピスに踊りに行こうと思っています。 さて先月、今度も突然、先生から「成人教育コースの卒業式のエンターテイメントとして、私たちが舞台でフラを踊ることになったから。千秋は、1番前で踊りなさい」といわれました。どうにか、なんとしても、1番前だけは避けたいと先生にいってみましたが、「もう決めたから」と、その日は、いつも後ろの私が1番前で踊ることになりました。 カーテンの後ろからステージに出たとたん、ライトの明かりで目がくらくらしました。客席にいるのは、いかにもフラをよく知っていそうなハワイの人たちです。−どうしてこの人たちの前で、私の楽しむだけのフラが踊れようか−と思いました。しかし、先生の歌が始まり、私たちが最初のフレーズを踊り始めたとたん、ワーッと大きな声で会場が沸き、シュップレヒコールが飛びました。客席から、ハワイアン・スピリッツが飛んできたみたいでした。どうしてこんなに大勢の人の前で、こんなに堂々と、気持ちよくフラが踊れるのか、我が身を疑いました。そしてよくわかりました。ホスピスで一緒に唄ってくれる患者さんや、この会場で盛り上げてくれるお客さんの中に、暖かいハワイアン・スピリッツが流れているから、下手なフラでも一生懸命踊ると、こんなに応援してくださるのだと。 −これは病みつきになってしまいそう− フラに対する私の熱い思いは、当分冷めそうにありません。
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