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家を訪ねて三千里 1998年1月記 96年の9月にヒロに移った当初は、夫の職場の人たちが多く借りていたマンションに、私たちも住み始めました。そこがすでに、東京で借りていた部屋の全部がリビングルームだけにすっぽり入ってしまうような広さで、部屋の中を移動するときに私たちの口癖だった「ちょと椅子を引いてくれる?」といわなくてすむことに感激してしまいました。その上、眺めがよく、家賃もその狭い東京のマンションと変わらない値段で、「もうここにずっと住んでいていい」という気持ちにもなりましたが、初志貫徹。1ヶ月経ったある週末に、私たちはダウンタウンにある不動産屋の扉を押しました。 私たちの担当になったセールスマンはグレーンという日系人のお医者さんの息子で、いかにも育ちがいいという感じの若い男性でした。最初の日、彼はまず私たちを車に乗せ、「これからヒロの町を車でくまなく回るから、何の先入観もなしに、この地区が気に入ったといってほしい」といい、一日掛けて町の中を案内してくれました。 ヒロの町のことをよく知らなかった私は、「こんなジャングルの中にも家があるの?」とびっくりしたり、「これはヒロのビバリーヒルズだ」と感激したり、それは私たちにとって非常に有意義な一日でした。しかし夕方、グレーンの車から降りると、体の芯には鉛のような疲労感が溜まっていました。そして、それまで味わったことがない種類だったその疲労感は、その後も家を見た一日の終わりには、必ず私たちの体の中に溜まっていきました。家を見て選ぶというのは、なんてエネルギーのいることでしょう。 さて次の週末は、私たちが気に入ったといったエリアの中で、予算と条件にあった家を、グレーンが10件ほどリストアップしてきました。そして驚いたことに、そうやって売りに出ている家には、まだ人が住んでいて、私たちが家を見るためにアポイントメントを取って、住人は留守にしておいてくれるというのです。だから、日本のいかにも作りごとのようにインテリアを置いたモデルルームとは違い、どの家も生活感でいっぱいです。 こうしてアメリカ人は、住みながら「売り家」という看板を立て、もしも家が売れたら、その資金で次の家を探し買うというのです。日本人に取って家は一生ものという感覚です。長い長いローンを組んでやっとの思いで手に入れた愛しの我が家は、よっぽどのことがない手放しません。そして、家と土地は、親から子へと相続していくのが自然です。ヒロに来て、「売り家」という看板だらけなので、「こんなに空き屋ばかりでは、ここはゴーストタウンになってしまう」と心配したけれどそれが大間違い。それらの家にもちゃんと人が住んでいるのです。 その日、家を何軒か見始めて、もうひとつ驚いたことがありました。日本では、物件情報はその不動産屋ごとに持っているものです。なので、できるだけたくさんの家を見るためには、大手の会社を選ぶか、何件もの不動産屋を回ります。 ところがここでは、「売り家」の看板の下に書かれている不動産屋の名前がことごとく違うのです。私は夫にひそひそと囁きました、「町で一番大きそうな不動産屋を選んだのに、なぜか違う会社の物件ばかりみせるんだろう。大丈夫かな?」。 やがてハワイでは、売り手側と買い手側、双方にそれぞれの不動産屋がいて、売買のときオーナー同士は顔さえ合わせない。またその双方の不動産屋の間に立って交渉を取りまとめる会社も存在する。そして、売り手側のオーナーは、売値の7パーセントを不動産屋に支払い、不動産屋はそれをシェアしあって利益とする。そういうシステムだということを教わりました。だからどの不動産屋の物件でも他の不動産屋が扱えるのです。なんて合理的でしょう。 偶然、同じころに家を買う友人がいました。たまたま自分たちの担当していた不動産屋が扱っている家が気に入って、でも不動産屋が1つだと値引き交渉がうまくいかないからと、わざわざ別の不動産屋に頼み直して、その家を購入した人もいました。買い手側としては、不動産屋が2社立った方が有利です。 そして、余談になりますが、もうひとつ驚いたこと。グレーンのオフィスで、彼と机を並べて仕事をしていた年輩の男性が、デパートの香水売場にも立っていたのです。そこでも彼は店員でした。「他人の空似か、はたまた双子?」私は遠くから、彼の顔をしげしげと見てしまいました。その後、気にしているからなのか、ヒロが狭いからなのか、その人をスーパーマーケットで3回見かけ、ある日、新聞を開いたら、そこにも彼の顔写真が載っていて、思わず「この人、ヒロに6人くらいいるんじゃない?」と、夫に冗談をいいました。 ところが、私たちの担当であるグレーンも、友達が通っているテニススクールの先生だったのです。何とハワイでは、不動産屋の社員が掛け持ちで違う仕事をしていることがよくあるというのです。会社も了承済み。これも日本では想像できないことです。 さて、初めて家を見て回った日、私は全ての家に感激してしまいました。「こんな大きいと家の中で迷子になる」「憧れの“奥様は魔女”のサマンサの家みたい」「こんな豪華な家に住んだら一切出かけたくなくなる」などなど。最後にグレーンが「それぞれ1番よかった家をひとつだけ上げて」と言ったときには、ひとつに絞れなくて本当に困ってしまいました。 そして、その日の晩、私はスクエアーフィート、エーカーを、日本の土地を測る単位である坪と平方メートルに置き換え、ドルを円に換算して家の値段を計算することに熱心に取り組んでいました。土地の広さをいうときだけは、どうも「坪(つぼ)」が一番ピンときます。私が懸命に電卓を叩いてそれをやっていると、理系の夫は、早速コンピューターの表計算ソフトを使い、家の名前、住所、値段、家・敷地の広さを入力すると、その家の評価額がでるような計算式まで作ってくれ、データをそこに入れてくれました。 それからは毎週末、昼間に家を見ては、夜にはコンピュータの前に座りデータを入力することが、私の楽しいお仕事となりました。 そして、最初は、通りの名前だけで思い出せていた家も、20軒を過ぎると混乱するようになってきました。そこで、ひとつひとつの家にニックネームを付けることにしました。 因みに、いくつか名前を上げると「竜宮城(家の外側に赤く塗った丸木の手すりがついて、さらに20畳の畳の間もありました)」「裏に鶏団地がある家(家自身は新築でしたが、裏の窓からみると、2枚板を合わせた鶏の家がずらずら並んでいました)」「舌だし猫の家」「お買い得の家」「シロアリ駆除剤の臭いの家」「過激な緑の家」「話し込んだ茶色の家」「異常に片づいていた家」「奥さんが日本語を話す家」「夫婦で日本語を話す家」。1年近く経った今でも、その名前からだとひとつひとつの家を思い出すことができます。 この夫婦で日本語を話す人の家は、日系人が多く住んでいる通りにありました。「この近所はね、ガイジンがいないよ。そっちは○○さん、こっちは××さん」と日本人の名字をいいます。だれが住んでいるのか訳がわからなくなりましたが、彼らがいっている「ガイジン」とは、「日系人ではない人たちのこと」なのです。私たちの感覚からすると、ここでは、日本人が外人なのですが。 やがて、家を見にいくときの私たちの必需品ができました。 ○家の間取りを書き込むための罫線のある紙 ○書くときに紙を挟むためのボード ○ヒロの地図 ○カメラ そのうえ夫はベルトに携帯電話までつけています。自分たちだけでも、日曜日の朝刊をみてはオープンハウスも見に行くようになりました。オープンハウスにいる不動産屋に、「どちらの不動産屋の方ですか?」と、何回聞かれたことでしょう。その上、質問も、家を見るときチェックする箇所も、だんだんプロになってきました。 別名ターマイト・アイランドともいわれるハワイ島。シロアリの糞を探し出すのは、私の得意とするところでした。たくさん落ちていて心配になり、不動産屋さんに教えて上げたこともありました。 さあ家を見始めて4ヶ月余りが過ぎ、見た家も70軒を越え、新聞のオープンハウスの物件をみても見たことある家ばかりになってきました。とうとうグレーンも、「ヒロにある予算前後の売り家は見尽くしたよ」といいます。私たちもいよいよ決断のときがきたと感じました。 <にわか不動産屋へつづく> |
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