2001年9月

 

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2001年9月29日(土) 晴れ

今年の6月からメンバー5人で、毎週欠かさずハンドベルの練習を続けてきました。そして今日は、ヒロで一番大きいモールであるプリンス・クヒオで演奏会をすることが決まっていました。そう、2週間ほど前の日曜日、厳かな礼拝の後に教会で元気に弾いてしまったのと同じ曲です。

ちなみに曲目をいうと、パーリーシェルズヒロマーチ(共にハワイの曲)、賛美歌320番(「主よみもとに近づかん」)、おじいさんの古時計星に願いをチムチムチェリー(映画「メアリーポピンズ」より)の5曲です。

今日は、Keiko、Asako、Sumikoにも、「10時にクヒオに来て聴いてね〜」と声を掛け、『来なかったら、薄い友情だ』と思っていたら、3人ともちゃんと来て、前の方の席を陣取って聴いてくれました。

今朝は開店前から準備に入り、リハーサルをして、10時には緊張感の中、演奏を始めました。結果からいうと、大成功でした。今までの演奏の中で一番、よく弾けました。買い物に来ていた人たちも足を止め聴いてくれました。一曲終わるたび、後ろの方や遠くからもたくさんの拍手が聞こえ、ドキドキしました。

演奏が終わった後、聴きに来てくれた別の友達が、「素敵だったよ。私、涙が出ちゃった」と涙ぐんでいて、私も涙が出ました。本当に満足のいく演奏だったので、4ヶ月間の苦労が全部吹き飛んだ感じでした。

そして、クヒオの会場で、設定やマイクの調整の仕事をされていた日本人の方が、「私は今年の1月からヒロに来たのですが、日本にいたとき、ヒロのことが書いてあるHPを探し、ちあきさんのHPを見つけてずっと見てました。そこにハンドベルをやっていることも書いてあって、今日はここで演奏されるのかと楽しみにしていました。どんな方なのかと思っていました」といわれ、びっくりしました。

 「ちあきさんのHPを読むのが楽しくて、一度メールも出したんですよ」
 「あのォ私、返事のメールを出したでしょうか?」
 「いいえ」

ご・ごめんなさい!私は基本的に、頂いたメールにはお返事を書くようにしているのですが、よくプロバイダーがおかしくなって、メールを受信していないことがあるんです。それか非常に体調が悪かったときとか。他の方にもごめんなさいをしているやしれません。山本さん、今日はうっかりメールアドレスを聞きそびれてしまいました。メールくださーい。


2001年9月23日(日) 一日中、梅雨のような雨

丸一週間のご無沙汰でした。今週は、親友のKeikoが豪邸にお引っ越しをしたり、毎日、私の車がどこかしら壊れていったり、結構バタバタしていました。我がボイジャーは、現在、クラクションが鳴らない上、なぜかクーラーの効きまで悪くなってきました。壊れる寸前の愛車でございます。

さて今日は前からやりたいと思っていた、屋根裏に掃除機を掛けるという、人生に於いて一度するかしないかの変な経験をしました。私はシロアリのチェックをするため、ときどきクローゼットの天井を開け、梯子に登って屋根裏を覗きます。そのときに目に入る屋根裏の埃の量はすざましい物でした。さすが築64年のアメリカの家。いつかそれに掃除機を掛けてみたいと思い続けていたのです。

遂に決行。友達に貸していた古い、もう壊れても惜しくない掃除機を返してもらいました。その重たいアメリカ製掃除機を持って、よろよろ梯子を上がり、防塵マスクを付け、懐中電灯で照らしながら屋根裏に入り込みました。場所によっては5cmも積もっている埃を吸い込むと、初っぱなからガギンガキンといやな音がしました。釘を2本吸い込んでしまい、ホースの途中に引っかかってしまいました。悪戦苦闘して屋根裏から出て、ホースの中の釘を取り除きました。

再開。今度はまず、落ちてる釘を取り除き、それから埃をビュンビュン吸い込むようにしました。お掃除好きの私にとって、これは結構気持ちいいです。目の前にある埃の山がみるみる消えていくのですから。「快感♪」などと思っていると・・・ガギン、バリバリバリバリバリと前よりすごい音がして、モーターが焼け焦げる臭いがしました。掃除機全体が振動しています。そのためスイッチにもなかなか手が届かず、掃除機が火を噴くのではないかと焦りました。

屋根裏から出て、今度は掃除機の解体です。ドライバーを持ってきて、バラバラにしていきます。私、こういうのも結構好きなのです。機械ってどうなっているのかな〜と。しかし、アメリカの変な掃除機は、ゴミがモーターの中を通るようになっていて、釘は、モータの奥深くに刺さってしまったようでした。他の掃除機を使うわけにはいきませんから、ここで断念。やりたいところの半分もできていないのに。

どなたか、もう捨ててもいいと思っている掃除機を譲っていただけませんか〜、どうしても屋根裏に掃除機の続きを掛けたいです。


2001年9月16日(日) 晴れのち雨

テロの話と、相変わらず続く体の痒みに、気分の冴えない日々が続いていました。それでも時は過ぎ、2日間、全く飛ばなかった飛行機も飛び始め、日本からの観光客も少しだけ到着するようになり、いつもの日常が戻ってきました。

しかし飛行機は今も、厳しいセキュリティーチェックのため、これまで搭乗30分前にチェックインすれば充分だった島間の飛行機に乗るためには90分前。1時間前にチェックインすればよかった、国際線・アメリカ本土行きの飛行機には、3時間前にチェックインしなければなりません。旅行関係の人たちは、これから長期的に観光客が減ると覚悟を決めているそうです。

週末、いつも混雑しているビッグアイランドキャンディーに買い物に行ったら、お客様が2組だけで、店の中がしーんとしていました。普段は観光バスで大挙してお客様が押し寄せているのに。思わぬ所にも影響が出ている今回のテロです。

さて、今日は以前から、ハンドベルを教会で演奏することが決まっていました。礼拝の最中に演奏するのが、「主よみもとに近づかん」という、タイタニックが沈むときにも演奏されたという有名な賛美歌です。これは偶然、この日に向けて練習していましたが、先週、あのような悲惨なテロがあり、また牧師さんの義理のお父様も亡くなり、図らずも多くの人の心を打つ選曲となりました。ベルの澄んだ音色が教会に響き渡り、演奏している私たちも感極まるものがありました。

礼拝が終わり、人々は席を立ち、外に出るため通路に立っているとき、これも前からの約束で、他に私たちが練習してきた曲も披露することになっていました。簡単な挨拶をして、5人でベルを持ち演奏を始めました。しかし現在の私たちの持ち曲は、賛美歌は先の1曲だけで、後は、ハワイの曲(とうぜん陽気)、ディズニー映画のテーマなどだったのです。

演奏が終わった後、牧師さんが静かに近づいてきました。「演奏をありがとう。しかし今の曲はちょっと・・・終わってしまったことだからもういいよ」といわれてしまいました。図らずも、涙する人もいるくらいの重い礼拝の後に、元気いっぱい、軽快なマーチで人々を送り出してしまった私たちでした。


2001年9月11日(火) 晴れ

夫は山に泊まり込んでいるので、朝日が射し込む中、のんびり朝の微睡みを楽しんでいた。と、電話が鳴り、出ると、「テレビを観た?テロで大変だよ。今日は公立の学校は休校だよ」と友達からいわれ、慌ててベッドの横にあるテレビのスイッチを入れた。同時多発テロ。現実とは思えない映像に動揺する。東京にいたとき、オウムがサリンを地下鉄でまき散らしたとき、あのときと同じ、事態の混乱への不安と、無差別テロへの怒りが湧いてくる。

いつもは食事中はつけないテレビだけれど、今日はつけずにはいられなかった。すると紘右の様子がおかしくなってくる。完全に情緒不安定。そのまま、プレメイトに紘右を連れて行く。私立なのでやっていた。唯一のクラスメートの宙夢君は、今日は家で待機といることでお休み。私はその後、友達の家でコンピュータを教える約束になっていたので、彼女の家へ行く。しかしそこでも結局テレビに見入ってしまう。彼女は長くNYに住んでいた人。

紘右も拾い家に戻ってまたテレビをつけた。紘右がやっぱりおかしい。母親の気持ちが乱れていることも伝わるのか。思い切ってニュースから離れ、紘右を海岸に連れていく。今日は、ヒロ空港も閉鎖されている。朝から飛行機は一機も飛ばない。いつも虫のようにパタパタ飛んでいるたくさんの観光ヘリも皆無。海辺はよけいに静かだった。

ニュースに気が滅入った人たちだろうか。夕方の柔らかい日差しの中、たくさんの釣り人たちが海に糸を垂らしていた。天蚕糸が逆光で光り、いつもより静かな海は平和そのもの。でもこの海の向こう、メインランドでは混乱極まりない状況に陥っているのだ。

夜寝る直前まで、紘右は情緒不安定のままだった。紘右が寝てから再びニュースを見た。ハワイでたくさんの人々が献血に行ったと報道されていた。混み合って、何時間も待たないと献血できない。でもだれも文句をいわず待っている。アナウンサーは、「それでもまだ輸血用の血が足りません。明日も来てください」と哀願していた。

パレスチナ自治区の人々は、このテロに対して大喜びしたという。人間とはどういう本能を持った動物なのだろうか。長くて辛い一日だった。


2001年9月7日(金) 晴れ

イースト・ハワイ・カルチャ・センタで、日本女性の個展が始まり、オープニング・パーティーへ行ってきました。すばる望遠鏡関係者の遠縁のアーティーストなので、Keikoと私の所にも招待状が届きました。パーティー;そういうめったにないお洒落な響きに弱い私は、久ぶりにフルメイクで、紘右は母に預けて、夕方、お迎えにきてくれたKeikoの黄色いベンツに颯爽と乗り込み会場に向かいました。

作品は、こんな感じです。これが大きな壁一杯に貼られています。ダイナミック!実はこの美術館(通称EHCC)は私の憧れの美術館で、妊娠する前には、「私もここで個展やるぞー」と、作品を持ってプレゼンテーションをしに行ったことがありました。しかし、展覧会開催の許可は即答ではいただけず、「よし。もう少し作品を増やしてプッシュしてみよう」と思ったとたん、妊娠していることがわかり今日までそのままになっています。無期延期状態。

この建物は文化財の指定を受けていて、中も外も趣があります。ついでにこのサイトの中にあるヒロの写真がよかったので見てみてください。どんな田舎かおわかりいただけたかと思います。

さて今晩は、どちらの夫もマウナケア山頂で夜のお仕事でした。なので夕食はこのパーティーで済ませてしまおうと甘い考えの2人でしたが、あまりに多いお客様に、Keikoが敏捷にお寿司を一個食べただけで、敗北感を背負ったまま2人で会場を後にしました。

でも折角お洒落もしてるし、気を取り直してEHCCの斜向かいにある評判のいいメキシコ料理屋で食事をしました。途中、偶然やってきた共通の友達とも合流し、美味しくて楽しい夕食になりました。そしてお引っ越しのお手伝いのお礼ということで、Keikoがおごってくれました。わーい、ご馳走様でした!

その後、場所をうちに移し、コーヒーを飲みながら、コメディー映画のビデオをゲラゲラ笑いながら観ました。そこへKeikoのご主人から電話で、「やっぱり早く帰るよ」ということで、映画を見終わったKeikoは飛んで帰っていきました。

それにしても楽しい夜でした。たまにはこうして似非独身生活をしなくてはね♪


2001年9月4日(木) 晴れときどき雨

紘右も1歳半になり、今日から保育園に行くことになりました。−といっても、週2日、一回2時間半だけ。プレスクールに行く前に園に慣れるためのプレメイトという小さなクラスです。私の気持ちとしては、年の近い子供たちと広いところで遊んで欲しい(日本だと児童館?)と思い、入れることにしました。

このクラスがあることを教えてくれたのは、紘右より10日後に生まれた宙夢くんのママです。しかし今日行ってみてびっくり。プレメイトに申し込んだのは、宙夢くんと紘右だけだったのです。今まで2人で遊ばせていたままじゃない!

9月〜12月までで400ドルという月謝が高かったのでしょうか?でも一日にすると10ドルくらいです。一時間5ドル足らずの託児所って、日本に比べたら安いですよね(日本の事情は全く知らない)?

このプレメイトの趣旨は、お母さんに自分の時間を与えることが大きいと、パンフレットには書いてありました。だからこの2時間半は自分の時間にしよう!と固く心に誓いましたが、キッチンに立って半分、ベッドに寝転がって遠藤周作を読んで半分、あっという間にお迎えの時間になってしまいました。これからは執筆活動を再開するぞ、またパシフィックプレスにハワイ生活の続きを書こう・・・しかし私もすでに6年生?「ハワイ生活6年生」って、タイトルからしてつまらなそう・・・。

さて、初登園の紘右は、朝、園に連れていくと、すぐ先生と一緒におもちゃで遊び出し、すでに心はお母さんにあらず。迎えに行ったら、大の字になって昼寝していました。案外、度胸があるみたいです。前の晩に心配で眠れなかったのは、祖母でした。おばあちゃん、心配性。