母は日本にいる間、健康が許す限り、日本福音ルーテル東京池袋教会に通っていました。母は十代の終わり頃、神戸で、ルーテルアワーというキリスト教のラジオ番組を聴き、感銘を受けクリスチャンになりました。その後、無信仰の父と結婚してから、教会に行かなかった時期もありましたが、ここ15年くらい、池袋のルーテル教会に所属していました。13年前に亡くなった父も、癌の末期状態でキリスト教ホスピスに入り、毎日礼拝に出席し、牧師先生と話しをし、亡くなる前日に洗礼を受け、翌朝、静かに息を引き取りました。その安らかな他界は、母と私の心の救いになりました。
その池袋の教会の4年前の会報に、「ヒロ見聞記」という母の書いたものが掲載されていました。改めて文章で読むと、母はヒロのことをこんな風に受け止めていたのかと不思議な気がしました。しかし、これを書いた後も、冬と夏、毎年二回の長期滞在を続け(最終的にはヒロ訪問は12回)、ヒロでの教会活動に燃えていた母を思うと、最近は、この文章を書いたとき以上にヒロを愛するようになっていたと思います。
ヒロの教会も現在は、近くに住む新しい牧師夫妻を迎え、さらに温かい熱心な活動を行い、教会員も驚くほど増え、礼拝堂も整えられました。母の他界後、心を込めた送る会を、母が尊敬していた三代川牧師に、ヒロでもしていただきました。私以上にたくさん地元の友人を持ち、「送る会」に駆けつけてくださった方々を思い出すと、母がヒロでカウマナ教会に出会えたことに感謝の気持ちは尽きません。
2002年12月 能丸千秋
ヒロ(ハワイ)の見聞記
1999年1月 奥村成子
日本の冬と夏を避けて、娘夫婦の住むハワイ島のヒロ市へ定期的に行き始めたのが、97年の冬からで、かれこれ6回の訪島になりました。しかし、いまだにその行き帰りの一人旅は、私にとっては大きな山を越える思いで、出発が近づくと億劫さで体調が乱れます。ハワイは近くて遠い処、それが実感です。
ヒロは観光ルートから外れた鄙びた田舎町で、砂糖産業が廃止されてからはこれといった産業もなく、豊かとはいえないところです。トタン屋根の家に暗い電灯、ボコボコの車(日本のような厳しい車検がない)、初めてこの町を訪れたときは、過疎の農村といった感じで、なんと淋しいところへ来てしまったのかと心細さで一杯になりました。しかし二度三度と訪れるうちに、その良さが少しずつ解ってきて、日本よりもずっと安心して暮らせる治安の良さ、人々の温かさなどに惹かれ、私の中で愛着がぐんぐん増していきます。
ハワイ島は、ハワイ群島の中で一番大きく、四国の半分ぐらいあり、キラウエア火山は今も盛んに熔岩を流出し、島を広げています。ヒロの町は人口約四万人、その三割が日系人、そして日系人の大半が砂糖黍畑で働いた人の末裔(二世、三世)のようです。お年寄りの間では、今も昔のような、実に綺麗な日本語が聞かれます。しかし中年よりも下は、日本人の顔と名前をしていても、英語しか話せないので戸惑います。教会もお寺も沢山あり、神社もあります。日系の人は仏教徒(西本願寺)が多いようです。
私はヒロで唯一日本語礼拝をしているカウマナ・ドライブ教会に誘われて、通うことになりました。バプテスト派で、讃美歌は聖歌、聖書は改訂前のものを使い、お説教などにも多少違和感がありますが、内容が理解できない英語礼拝のルーテル教会に行くよりもと思っています。カウマナ教会は、殆どが地元の方で、教会員は10名くらい。多くが台湾出身者のお年寄りですが、その中に、日系の方も何人かいらっしゃいます。日本から渡り鳥が多くやってくるシーズンには、礼拝出席者が20人から30人になることもあります。
数年前までは、日本人の牧師夫妻が専属で常駐していたそうですが、牧師が亡くなり、それからは臨時に地元の先生をお願いしたのですが、この方も病気で辞退され、昨年からは、ホノルルでブライダルの牧師をしていらっしゃる方を日曜日ごとに招いています。
日曜日は、朝8時半から聖書のお話。9時45分から礼拝。11時には終わります。お説教はテキストが毎回配られ、解りやすく面白く話されるので、退屈いたしません。
水曜日は、午後2時からデイケアセンター訪問伝道。
木曜日は9時から楽しい集まりの日。支配人(長老)と称するボスを中心に日曜日のテキストを使っておさらい。その後ハーベストタイム(キリスト教番組)をみて親睦。11時から英会話の個人レッスン。12時解散です。
このように表面は充実した和やかな教会なのですが、内輪話を伺うと、英語部と称している教会本体の中に日本語部が誕生し、牧師を招きスムーズに出発したのに、途中から意見の差が生じ、結局、会堂建設資金をいくらかもらって独立。会堂は本会堂の横に会員手作りで建て、今はいっさい英語部と関わりはない形のようです。そのときの、教会建設資金が今の活動を支えていると聞くと、いずれ底をつく経済、バザーも提案しましたが、会堂の中での売り買い、しかもお客様には仏教徒もいるということで、二回ほどで中止になったとか。
ヒロで唯一、日本語の礼拝を続けている教会で、長く存続して欲しいと祈らずにはいられません。ハワイといっても冬の冷えはかなりあり、金属の椅子に直接座る辛さから、座布団を作って献品し、今度は、年配の方のために毛糸のモチーフの膝掛けも作りたいと思っています。
各国の望遠鏡が4200mのマウナケア山上にでき、町に関係施設が建ち、ヒロに経済効果をもたらせたといわれる一方、日本であったらとうに取り替えるであろう錆のひどい教会の屋根を見て、私は一人心を痛めています。
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