最後のハワイ訪問写真

 

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2001年の11月に癌の手術をしてから、母は20代終わりから続けていた髪染めを止めました。それまで真っ黒だった母の髪は、染めるのを止めてみると真っ白で、私は娘としてショックを受けました。しかし、真っ白で豊かな髪は、年を感じさせはするものの、上品でもあり、白い髪に合うような明るい服を着るようになり、私の中の母のイメージは、たった一年足らずでしたが、「銀髪の母」となりました。

けれど残念なことに、髪が白くなってからは写真を撮るのをいやがるようになり、この一年間、殆ど写真を撮りませんでした。今回のハワイ滞在中も、デジタルカメラで数枚写真を撮っただけです。

その写真を、ここに置くことにしました。ときどき私がここに来て、母の写真を訪ねることになりそうです。

2002年12月 能丸千秋



2002年9月20日の朝/ホノルルのガレリア免税店にある巨大水槽の前にて、母と紘右(こうすけ)

母が倒れる前日に撮った、事実上これが最後の写真となりました。

この日は、ここから、トローリーバスに乗り、シーライフパーク(水族園)まで往復し、夕食はお寿司をパクパク食べ、
夜、ホテルに戻ってからも、きちんと帰り支度を済ませ、疲れも見せずに12時頃にはベッドに入っていました。
私には何の気配も感じられず、ただただ信じられない気持ちになります。

−この日は、ここをスタートに、本当にたくさん笑った思い出深い一日でしたね−



一ヶ月余りのヒロ滞在中、2回熔岩を見に行きました】


2002年9月8日/これは、以前の駐車スペースを塞いだ熔岩の上で



−最初は、「溶岩の上を歩くとふらふらする」と怖がっていたのに、目の前で熱い溶岩を見たとたん、
「急にしゃんとした」と、大喜びでしたね−



2002年9月18日/10日後に、再び熔岩を見に

この日、このアスファルトを塞いでいる熔岩は、まだ熱くてびっくりしました。

「日本からきた友人を案内するけど、また火山見に行く?」と聞いたら、
「行きたい!行きたい!」と、子供のように喜び、その好奇心は
母の元気の源だったような気がします。

−今はすっかり簡単に見えるところでの活動はなくなってしまいましたが、お母さんと一緒に、
あの迫力ある溶岩の流れを見たこと、一生忘れられない思い出のひとつです−