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Shall we dance? 1997年11月記 日本では結核予防のために、赤ちゃんのうちにBCGで微量の結核菌を注射し、体の中に結核に対する抗体を作ります。その後、子供の間は学校で、何年かに一度ツベルクリン注射をされ、赤く腫れれば「結核に対する抗体ができているのでOK」ということになり、もしも赤く腫れないと「結核の抗体がない」ということで、また巨大なBCGの注射を打たなければなりませんでした。 そこで子供なりに考えて、とにかく痛いBCGはしたくないと、大きく赤く腫れるようにとツベルクリン注射を打ったところをピシピシ叩いたりしました。ところが、ハワイに来て知ったのは、そのような結核の予防法を取るのはアジアに限り、ここアメリカでは、たとえ微量でも結核菌を人間の体に注射するなんて考えられない。大人になってからもひたすらTBテストを受けては、結核にかかっていないことを確かめるというのです。 つまり私たちアジア人は、抗体を持っているので、TBテストを受けるとポジティブな反応が出るため、「結核かもしれないから次に肺のレントゲン写真を撮ってきなさい」ということになるのです。それでも不思議なことに、日本人でも赤く腫れない人もいるそうですが。 ヒロでツベルクリン注射を打たれた後、私は、早くフラに行くためにはポジティブな反応が出ない方がいいからと、注射を打った左の腕を使わないように細心の注意を払いました。子供のときとは逆で笑ってしまいました。 さて、注射をして四日後、私としては「これは蚊に刺された痕にしかみえないくらい小さいぞ」と安心して検査に行くと、お医者さんはそこを指でぐいぐいと押し、腫れは小さくてもしっかり堅くなっていることを確認し、「陽性」とカルテに書き込みました。確かに並んでいる他のアメリカ人をみると、信じられないことに全然赤くなっていません。 がっかりしながらも私は、ヒロ・ホスピタルにレントゲンを撮りに行きました。ここで「混んでるから、検査結果が出るのは数ヶ月後です」といわれたのは大変なショックでした。そんなに待てないと思い、日本から、職場で最後に取った肺のレントゲン撮影の結果を取り寄せ「異常なし」という判が押してあると、お医者さんにみせに行きましたけれど「日本語ではわかりませんね」と却下され、結局、病院から結果が送られてくるまで、憧れのフラ教室に3ヶ月も行かれませんでした。 年が明けて翌1月。待ちに待ったレントゲン結果も、無事、「異常なし」ということで、私は早速フラの申し込みに行きました。ところが次のレッスンが始まるのは2月になってからです。 でもあと1ヶ月待てば、遂にフラが始められると、私は気を取り直して、曜日と時間と場所をしっかりと頭の中に入れ(たつもり)で帰宅しました。もう一つ嬉しかったことは、TBテストをクリアしたということで、私は公共の英語学校にも行けるようになりました。久しぶりに教室に座って勉強するのは、まるで学生に戻ったような気分で、充実した楽しい毎日が始まりました。 そして、念願のフラ教室の初日です。火曜日の夕方6時半からということで、その日、私は早々と夕食を済ませ、シャワーを浴びて着替えもし、レッスンがあるはずである高校の講堂に随分早めに到着しました。「今日という日まで本当に長くかかったな」と、私は車の中で感無量でした。 しかしまだ建物は、灯りも消えたまま鍵も掛かっています。「早く来すぎちゃったかしら」と、最初はうきうきと車の中で待つこと20分。でも6時半になってもだれも来ません。私はだんだんパニック状態になってきました。「これは絶対におかしい。今ごろ、どこか別の場所で、初日の自己紹介を始めているに違いない。すでに4ヶ月も待ったのに、これ以上遅れを取りたくない。どうしたらいいんだろう?どこにいったらいいんだろう?そうだ、もしかしたら受付に場所が変わりましたと張り紙があるかもしない」と、急いで受付まで行ってみました。 でも、同じく真っ暗で、人っ子一人いません。「そうだ。朝、英語をやっているのと同じ教室でやっているのかもしれない」と、今度は、そこから車で5分ほどの川向こうの教室に向かいました。 闇夜で光を見た気がしました。芝生を隔て、その先にある教室には、煌々と明かりがつき、たくさんの人影がみえます。机や椅子は片づけられ、昼間の教室はダンスができるようにがらんとしています。「よかった!ここだったんだ」と車を降り、教室に足早に近づいていくと、その人影は、華やかに着飾ったおばあさんたちとお洒落をしたおじいさんたちであることに気が付きました。 「あれ、もしかして、フラは結構、年輩の男女に人気があるの?」と、多少の疑問を持ちつつも、さらに近づいていくと、歓談をしていた教室の中の方たちもとても不思議そうな顔をして私を見ます。 「あの、フラ教室はここですか?」と、私はおずおずと一人の品のいい白人のおばあさんに尋ねました。「フラ?ここでやっているのはスクエアーダンスよ」四角い踊りっていったいなんでしょう?それにおばあさん達のフリフリがいっぱいついたスカート、ちょっとフラとは違うみたいです。「今、私はフラの教室を探しているんですけれど、どこでやっているかご存じないですか?」と聞くと、その素敵なおばあさんは「知らないわ。でもね、貴方。フラよりもスクエアーダンスをしてみない?貴方、日本人よね。このダンスはね、まだ日本には先生がいないのよ。貴方の若さで始めたら、きっと偉い先生になれるわ。やってみない?」と、私の手をぎゅっと握り、自分の豊かな胸に押しつけながらとても親切にいってくださいます。 私の頭の中は混乱してきました。「有り難うございます。でも私、もう少し、自分のフラ教室を探してみます。もしも見つからなかったら戻ってきてもいいですか?」と聞きました。「OK。約束よ。待ってるからね」とおばあさんに暖かく見送られ、私は取りあえず家に戻ってみることにしました。 半分踊りながら浮かれて家を出ていった私が、一時間足らずでしょんぼり戻ってきて、夫はびっくりしています。私はもう一度、受付でもらった紙をよく見ました。「火曜日、火曜日から」と強く頭の中にインプットしていましたが、よくみると月曜日からです。なんと昨日、だらだらテレビをみていたときに、実はフラの一日目が始まっていたのです。私はこのときほど自分で自分に嫌気がさしたことはありません。がっかりしたときに、さっきの優しいおばあさんの言葉を思い出しました。 夫に「私、今日はとにかくこの悲しさを忘れるために別のダンスをしてくるから」といい残し、スクエアーダンスの教室に戻りました。 おあばさんは大歓迎してくださり「今日は、貴方は私のゲストだから」と、会費も取らずに、みなさんに私を紹介してくださいました。「スクエアーダンスはね、フォークダンスやラインダンスにも似ているけれど、あまり疲れないのよ。いくつになってもできるの。あのカップルは八十歳同士よ」。それは、同じマンションに住んでいらる、お年だけれど、よく向かいの公園で抱き合っている熱々の年輩の夫婦でした。「あの二人はね、もう三十年も恋人同士なのよ。結婚してないんだけど、お互いとても愛していて、あのペアのグリーンのギンガムチェックの服は彼女のお手製よ」と教えてくれました。アメリカのお年寄りは本当に生き生きしていると感心しました。 さてその夜、私は、踊り狂いたいような気分でしたけれど、スクエアーダンスはそのようにあまり激しいダンスではなく、それでも、陽気なおじいさんとペアを組んで、私はスカートをひらひらさせながらくるくる回って踊りました。 フラを始めるまでの長き道のり。でも、その後無事にスタートしたフラは、始めてから10ヶ月が経とうとしています。今は、中級クラスになれました。フラを踊っているとき、私は頭の中が「無」の状態になります。まるで気孔をしているような気がします。週に二回、私にとって何にも代え難い大切な時間です。 そして、スクエアーダンスの方も、それから何回かお誘いをいただきましたけれど、どうも私には、新しいダンスを同時に二つ取得することはできません。そうだ、いつも女性余りで男性が足りないからと思いつき、夫と同じ職場の、日本の若い男性を紹介したところ、彼がすっかりおばあさんたちのアイドルとなり、私には全くお誘いの声が掛からなくなりました。 少し寂しい気もする今日このごろですが、あの白人のおばあさんが彼に「貴方はその若さで習い始めたから、日本でスクエアーダンスの権威ある先生になれる」と、太鼓判を押しているということなので、スクエアーダンスは、将来、日本で彼に教えてもらおうと思います。 |
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