旅立ち

 

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旅立ち 

                1996年/秋  奥村成子

人は生きている限り、必ず旅立ちの日を迎える。それは突然やってくるかもしれない。そのときが来れば、自分の意志にかかわらず、素直に受け入れざるを得ない。未来は、「永遠の命」「輪廻」「空」、考え方は自由であるが、残された者にとっては、「人」という字の、一本の支えを失う。そこには生々しい「抜け殻」が横たわり、プッツリとその人のすべての営みが静止する。それはひとつの物体と化してしまう。

私にとって今年は、度重なる別れと後始末が繰り返し続き、ことばで言い表わし切れない疲れと淋しさがあった。別れの前には必ず耐えがたい心痛があり、今一度の再起を希うあまりの焦り、無力感、しかし運命は過酷にも最後を告げると同時に、さまざまのことが一度に押し寄せて来る。

四月末に見送った姉は、父のあとを、不自由な体を許容しつつ、一人で守ってきた健気な姉だった。肺がん末期を知りつつも、天性の楽天と気丈さで、まだまだ生き続けるつもりで、入院のときも風邪のためと、気軽く家を後にしたらしい。そこには、その人の生活があまりに生々しく残され、家に入ると同時に止めどない涙が先に立った。しかし限られた時間の中でどんどん処理していく必要があり、一日があっという間に終わるのに、私の心と体の大変な消耗となった。

整理にほぼ見通しが立ったころ、18年共に暮らした猫が、日に日に弱っているとの連絡を受け、急ぎ帰京。重い気持ちで最後を看とる。動物とはいえ、私にとっては「人」の関係にあったので、つらい別れとなった。

そうこうする中、一人暮らしを始めた兄(連れ合いは一月に他界)が転んだことが原因で動けなくなったとの知らせ。兄は長男の家に引き取られたが、私もその家を閉じる手伝いにまたまた西下して行った。全く今年は暗剣殺の年であった。

その様々な経験から、後に残る者のため、今のうちに少しでも身軽くならねばと気になっていた矢先、娘夫婦の海外赴任が決まり、荷物を預かることになり、暑い最中だったが、思い切って身辺の整理を始めた。この仕事は自分のことなので、思い切りよくできそうに思い始めたのに、「業深い私」には、ひとつひとつにまつわる想い出、慾が断ち難く、心の葛藤が激しい。また戦争を体験した年代では無暗に捨てることに罪悪感が伴う。

幸いにして市政が改まり、リサイクル回収が始まった。しかしかえって今までより、手を加えなければ対象に入らない。例えば衣類は、出す直前に洗った物(集積物の虫発生予防のため)との条件がつく。洗濯して保管していても、長い間には虫のつくことが多い。毎日毎日の仕事として、洗っては干し、そして分類の繰り返し。そして週一度の指定の日に出す。家の中で眠っているよりと決心して、和服や新しい布地もリサイクルの施設に発送した。新品の雑貨類は、教会や適所と思われるところに寄付をした。

山のようにあった、亡き夫の書籍は、古本屋を呼んだところ、「このようなベストセラーものは世の中に有り余っています」と、全部まとめて千円札三枚が帰ってきた。持っていってくれるだけで有難いと割り切るより仕方がない。

しかし処分すべき物の中に、割り切れないものがたくさん出てきて、私の心を苦しませる。例えば、家族や自分の歴史的なものからの断ち切り。子供のころの一枚の絵を手にしても、それを描いたときの嬉しさや、様子までがありありと蘇り、昨日のことのように思える。日記帳然り。私にとっては一頁一頁懐かしくて手放せない思いだが、果たして娘に見せる代物ではない。写真もそうだ。私の目にはその人の写し身として受け取れるが、他の人には全く「物」と化すことが多い。故人のものとなると、その時々の語らいや、思い、取り返せないものばかりであるが、思い切ってずいぶん処分した。メラメラと炎の中に、「ごめんなさい」を繰り返しつつ投じ、あるときは、いい訳を語りつつ投じて行った。

こうして整理を進めている中、何故か自分が死に急いでいるように感じ始め、落ち込んで行った。その為でもないだろうが体調も不調になっていった。そんな私の姿を見て、「あとで私がするから、そのままでいいよ」と一言残して、娘も九月に旅立って行ってしまった。

虫のか細くなる集(すだ)きがいやに身に沁みる今日この頃である。