天に一人を増しぬ

 

上へ

 


母が亡くなってからの3ヶ月の間に、2回日本に帰国しました。主がいなくなった東京の家に入るのは、どんなに辛いかと想像していましたが、結婚するまで私が娘として長く過ごした家で、今は亡き母、そして父の息吹を至る所から感じ、心安らぐ場所であることを発見しました。まだハワイから帰国する予定はありませんが、実家は手放すことなく、いつか日本に戻ったときに私たちで住みたいと思っています。

直後には何もできませんでしたが、先日帰国した折、少しずついろいろな場所を整理し始めました。母が大事にしていたものが入っている引き出しの中に、ご友人の藤岡満里様が昭和56年に達筆な書で綴ってくださった「天に一人を増しぬ」「最上のわざ」という二つの文章が出てきました。封筒に大事に仕舞い、クリスチャンである母が、これらの文章に感銘を受け、長年大事にしてきたことが伝わってきました。

とくに、「天に一人を増しぬ」は、私の心を貫きました。去年、中期の肝臓癌が見つかってから、死ぬ覚悟をしてしまった母が、引き出しの一番上にこれを置いていたのは私のためだったような気がしています。母が13年前に最愛の夫を失ったとき、きっとこの文章を心の支えにしたように、今は私の支えです。

複数、コピーが取ってあった「最上のわざ」は、近年、自分自身に老いを感じずにはいられないといっていた母が、これを年の近い友人たちに渡そうとしたからでしょうか。「最上のわざ」を読み、母が、志高い生き方を理想としていたことを思い出し、晩年の生き方を示唆された気持ちです。

ハワイにいるため、セラ・ゲラルデナ・ストック氏、
ヘネマン・ボイヴェルス神父について、インターネットで調べてみましたが殆ど何もわかりませんでした。もしも両作者について何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご連絡頂ければ幸いです。

2002年12月 能丸千秋


 

「天に一人を増しぬ」

                セラ・ゲラルデナ・ストック作
                植村正久訳

家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり

愛する顔 いつもの席に見えぬぞ悲しき

さはれ 天に一人を増しぬ 清められ 救はれ

全うせられしもの一人を


家には一人を減じたり 帰るを迎ふる声一つ見えずなりぬ

行くを送る言葉 一つ消え失せぬ

別るることの絶えてなき浜辺に

一つの霊魂は上陸せり 天に一人を増しぬ


家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れにたえず

内に入れば空きし席を見るも涙なり

さはれ はるか彼方に 我らの行くを待ちつつ

天に一人を増しぬ


家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽いて

歩みもしどろに 目も暗し

さはれ みくらよりの日の輝き出でぬ

天に一人を増しぬ


げに天に一人を増しぬ 土の型にねじこまれて

キリストを見るの目暗く 愛の冷ややかなること

いかで我らの家なるべき 顔を合はせて吾が君を見まつらん

かしここそ家なれ また天なれ


地には一人を減じたり その苦痛 悲哀 労働を分つべき一人を減じたり

旅人の日ごとの十字架をになふべき一人を減じたり

さはれ あがなわれし霊の冠をいただくべきもの一人を

天の家に増しぬ


天に一人を増しぬ 曇りし日もこの一念に輝かん

感謝 讃美の題目 更に加はり

吾らの霊魂を天の故郷にひきかかぐるくさりの環

さらに一つの環を加へられしなり


家に一人を増しぬ 分るることのたえてなき家に

一人も失はるることなかるべき家に

主イエスよ 天の家庭に君と共に坐すべき席を

我らすべてにも与えたまえ


「最上のわざ」

  
             随想選集「人生の秋に」
  
             ヘネマン・ボイヴェルス神父

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうなときに希望し
従順に 平静に おのれの十字架をになう

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見てもねたまず
人のために働くよりも 謙虚に人の世話になり
弱って もはや人のために役だたずとも 親切で柔和であること

老いの重荷は神の賜物
古びた心に これで最後のみがきをかける
まことのふるさとへ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは真にえらい仕事
こうして何もできなくなれば それを謙虚に承諾するのだ

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる
それは祈りだ
手は何もできない けれども最後まで合掌できる
愛するすべての人のうえに 神の恵みを求めるために

すべてをなし終えたら 臨終の床に神の声をきくだろう
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。