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浦島太郎捕物帖 1998年8月 −ということで今月は、「ハワイ生活二年生・日本編」です。 ホノルル発のUAから成田空港に降り立ったとたん、懐かしい日本の匂いがしました。匂いというのは、景色よりも音楽よりもいろいろなことを鮮明に思い出させてくれるから不思議です。そう、湿ったような芳ばしいような、ほのかに漂う日本食の香り、これが日本の匂いです。 大きなトランクを抱え、実家の最寄りの駅に降り立つと、1歳のときから馴染みの近所のおばさんにバッタリ出会いました。こういうのが、ふる里に帰ってきたと実感する一時です。おばさんはハワイにいるはずの私との再会を驚いたり喜んだりした後いいました。「日本は今、すごく危ないからね。この間おばさんが自転車の籠にバックを入れて走っていたら、後ろから来たバイクに籠からバックを抜き取られたの。それで3日間も声が出なくなるくらい叫んだのに、だれも助けてくれなかったのよ。くれぐれも用心してね」 いつも派出所のお巡りさんが道行く人とのんびり世間話しをしていたような東京郊外の我が町でも、そういう犯罪が起きるようになったのです。これからは気をつけなくてはと、少し寂しい気持ちで帰路につきました。 その夜は、ご無沙汰していた友人たちに連絡を入れました。そして、展覧会、コンサート、講演会、いない間にできた新しいエリアの情報も一頻り入手しました。さて、明日からの私はハワイではなかった忙しさです。ウキウキしながら、久しぶりの畳と布団にも違和感を感じることなく、あっという間に深い眠りに落ちました。 翌日は、近くに住む幼稚園からの親友と、最寄りの駅でランチをする約束でした。東京は梅雨入り前の、爽やかで木々の緑が最も美しい季節です。その日は自転車で走っているだけで幸せな気分でした。でももちろん、籠に入れたバックには用心深くカバーをしました。 突然、その静かな空気を破るような緊迫した叫び声が響きました。近くの私立学校の男子寮から、すごい勢いで2人の人が飛び出してきました。高校生と思われる青年と、名前と顔を知っている、その私立学校の先生でした。 「だれか警察を呼んでください!だれか捕まえてください!」先生は大きな声で叫びながら走っていきます。また青年も必死で逃げています。年輩の先生は、彼にぐいぐい引き離されていきます。閑静な住宅地をのんびり歩いていた余り多くない通行人たちは、驚いて2人にぶつからないように道を開けるばかりです。 そのとき昨日のおばさんの話しを思い出しました。私の中にムラムラと「こんな無関心ではいけない」という思いがこみ上げてきました。 気がついたら私は思いっきり自転車のペダルをこいで、その青年に追いついていました。横から、えいっと自転車で彼に体当たりしました。まるで台本でもあったかのように、私は倒れず走り続け、青年だけ派手に転びました。彼はアスファルトの道を2メートルくらい前向きに滑ったので、腕を思いっきり擦り剥いたようです。その上ズボンが半分脱げて、トランクスまで見えてしまいました。「こんなにうまくいくもの?」と喜んだのも束の間、彼はパッと飛び起き、先生が追いつく前に再び走り出しました。 「もう一回」そう思って追いついてから、ふと疑問が起きました。「学校の生徒を、いきなり警察に突きつけようとしている先生は、実は先生の方が変なのではないか。私は本当に正しい方を助けようしているのか?」そう思うとつい手加減してしまいました。今度の体当たりは、青年をよろけさせただけでした。躊躇して速度が落ちた私に、先生が近づいてきました。ここで私が諦めたら、このまま青年は雑踏の中にうまく紛れることでしょう。思わず私は先生に「捕まえますか?」と、馬鹿な質問をしてしまいました。 「どうぞお願いします」息も絶え絶えに走ってきた先生の目をみたら、やっぱりこの先生が正しいと確信できました。「よしもう一回」。私は全速力で青年に追いつきました。「力がだめなら、良心に訴えてみよう」私は彼の横にいって、ありったけの声を出して叫びました。 「止まりなさい!××学校の生徒でしょう!先生が止まりなさいっていってるのになにやってるの!」青年が、はっとして私の顔を見ました。そして彼は、その場にピタッと止まったのです。拍子抜けした私だけ、そのままの勢いで走り抜けてしまいました。後ろを振り返ると先生が彼を捕まえ、近くの家の人に「警察を呼んでください」と頼んでいました。やっと取り押さえられたようです。私はしっかり顔を見られたし、そのままの勢いで駅に向かうことにしました。「ありがとうございました〜」、遠くで先生が私に向かって叫んでいる声だけ耳に残りました。 友達と会ってもしばらくドキドキしていました。友達は「先生がいきなり警察に突き出すということは、その男の子は友達を刺したんだよ。千秋も刺されなくてよかったね」と、いいます。初めて少し恐くなりました。 夕方になると、ますます気になってきました。青年は本当に何をしたのか、確かに警察に引き渡されたのか、私は迷った末、とうとうその学校の教師室に電話を入れてみました。追いかけていた先生が電話口に出てきました。 私の気迫に負けた?泥棒が私の一声で止まった理由は、今も謎です。でも私は、よほど大きな声を出したのでしょう。ずっと声が嗄れてしまいました。 その夜、別の友達にこの話しをしました。彼女はさんざん笑った後、私を諭しました。「これだからハワイ帰りの人は困るんだよね。今、日本でそんなことすると刺されるんだからね。若者は、バタフライナイフって持ってるんだよ。もう二度とそんなことしたらだめだよ」 その後、私は、都心ですれ違う人々の殺伐とした表情や、店員の横暴な態度に、だんだんビクビクするようになってきました。新聞を開くと、「若者がキレる」という、いやな言葉が目に付きます。確かに日本人は今、忙しそうで、不安そうで、ピリピリしている人が増えているように思えてきました。ハワイの店員さんの愛想の良さや、人々の笑顔が懐かしくなってきました。知らない人とは関わらないようにするというのが東京のルールだったことも思い出しました。そうして3週間も東京にいた私は、同じ現場に再び居合わせても、もう飛び出していく勇気はないと思うようになりました。 昨日、その先生からの手紙を受け取りました。手紙の最後にこう書かれていました(原文通り)。 道を塞いだ?私は、彼の良心に訴えたはずだったんだけれど。まあでも、これからも気迫を磨いて、もし同じ状況に出くわしたら、やっぱり人助けをする人間でいようと、久しぶりの日本で決心しました。
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